独りの条件 9



の両親を心配させるわけにはいかんし、俺も休日とは言え普段どおりに部活があるから
午前中のうちにを家に帰らせることにした。

本当は帰したくない。 
一日中だって抱き締めていたいけど、のことを思えばこそ。
俺の都合を押し付けるのはもう沢山だ。


結局昨日の夜もゆっくりは寝せてやれんかったわけだし、今日くらいは家で休ませてやらんとな。
今までだって大事にしてきたけど、これからは過保護だと笑われるくらいに俺はを大事にする。

もう絶対に傷つけない。



「じゃあ、部活遅れないようにね」
「ああ、わかっとる。…本当に送らんでいいんか?」

俺はを送るつもりでいたのに、はそれを断った。
マフラーに埋めた顔を柔らかく微笑ませて「大丈夫」と答えて
ちょっとだけ考えこむ様子を見せた後に、俺を見上げた。

「ちょっとね。寄りたい所があるから、一人の方がいいの」


 『一人の方がいい』。

俺には、一人の方がいいことなんて何もない。

いつでもにいてほしいことばっかりなのに、
やっぱり俺の想う気持ちの方が大きすぎると言われたような気がしてしまう。
そんなことはないと、昨日こそが教えてくれたばかりでも。


俺がおったら困るなんて何の用事だ? また心が臆病に戻ってのことを疑わずにいられない。

そういえば…の進路だって結局のところは変わってない。
今はまたこうして側にいてくれても、春になればやっぱり俺は独り。
がいくら俺を好いてくれても、春になれば俺を置いていく…


それを顔に出したつもりはない。 でも、には俺の不安は伝わってたんだろうか。
心配そうに俺の手を取って、そのまま俺の手の甲に唇を寄せた。

そんなに優しいキスをせんでほしい。
やっとの思いで帰してやろうとしとるのに、に甘えてしまいたくなる。
俺がはっきりと口に出して望めばは側にいてくれるのかと、期待してしまう。

しばらくはそうやって口付けたままでおったが、
俺の気持ちが落ち着きだすと同時に、そっと唇を離した。

名残惜しい気持ちで、の唇が俺の手から離れていくのを見つめるしか俺にはできん。

「仁王君…。月曜、朝練の後に私の教室に寄ってくれないかな?
  ちょっとだけでいいから顔が見たいの。話もしたい」
「もちろん。何なら部活休んでもいい」
「それは駄目。じゃあ…月曜日、待ってるから」

はローファーに足を通しながら少し困ったように笑って、爪先を二・三度鳴らすとドアに手をかける。
早めに帰すと決めたばかりなのに引き止めたくてたまらない。
まだ帰るな。 俺を独りにするな。 がおってくれんと、俺は…。

唇を噛み締めていなければ、追いすがる言葉が溢れてしまっていたと思う。


「部活ちゃんと行ってね」とだけ最後に言い残すと、そっと玄関のドアを押して、は帰ってしまった。




明日になれば会える。たった今の今まで会っていた。
でもの姿が見えなくなっただけで、俺はもうこんなに不安になってる。

のため、なんてかっこつけた自分を恨めしく思った。
どうして今日は側におってくれって言えんかったんじゃろう? やっぱり俺は臆病だ。

臆病で卑怯。
俺を不安定な気持ちにさせるのはのせいだと、今は恨めしく思ったりして。


月曜には、本当に会えるんだろうか。

やたらとつのる心細さに、にもう会えないような気がしてしまって
そのまま玄関に膝を抱えてしゃがみこんだ。

…」

さっきが口付けてくれた右手の甲に、しばらく唇を重ねたままでいた。








はやる気持ちを抑えて月曜の朝練に臨むも、10分が限界だった。 これ以上は我慢できん。
はいつも早めに登校して教室で本を読むのが常だから、そろそろ教室に着くはず。

俺に会いに来てほしいと言ったんなら、僅かな時間でも待たせたくない。


「おい真田。俺、大事な用事があるけん今日の朝練は早退する」
「…くだらんな。そんな我侭が通ると思っているのか、仁王。たるんどるぞ」

真田は俺が冗談でも言うとると思ってか、取り合おうともしない。

「何とでも言え。放課後の練習はちゃんとやるし、それでよかろ?」
「たるんどる!朝練も放課後も真面目にやるのが当然だろうが!」

渋い顔をしたまま一向に了承しない真田の石頭に、俺は悟った。
…相手にするだけ無駄か。 まともに向き合えばに会える時間を更にロスしてしまうだろう。

「あーそうか。ようわかった」
「そうか、わかったか仁王。立海たるもの…」
「お前の許可なんかいらんわ」

一瞬あっけにとられて言葉を失った真田をコートに残して、俺は部活着のまま校舎へ走った。
普段の反復ダッシュ練習でもここまで真剣にやらんくらいに、本気で走った。
の待つ、教室だけを目指して。



息を切らして辿り着いた、の教室には、まだ誰も来ていない。
良かった。を待たせないですんだ。

確か…の席はここだったはず。
一番奥の列の前から3番目。 そこに腰掛けてが来るのを待つ。

早く、に会いたい。 あの声で、俺の名前を呼んで欲しい。
俺の側にまだいてくれてることを、感じさせれくれ。

の机に突っ伏せると、俺はそのまま目を閉じた。
そうすると、あのブランケットに包まれたが瞼の裏に浮かんで胸がじんわりと温かくなる。
やっぱりにはあのブランケットがよく似合う。

今日からまた使ってくれんかな。



その時、足音が聞こえて、反射的に顔を上げた。

ガラっと教室のドアが開かれて、願ったとおり入ってきたのは
自分の席に座っとる俺を見てちょっと驚いた顔をした後に、あの優しい笑顔を向けてくれる。

「おはよう、仁王君。……部活抜け出して来ちゃったの?」

しまった、部活着のままやった…。
正直に言えばが浮かない顔になるだろうし、それを回避するための嘘は嘘のうちに入らん。
心配そうに訊かれて、俺は平然と嘘をつく。

「いいや。真田が…放課後頑張るなら朝練は早退していいって」
「そうなんだ。……ありがとう仁王君、こんなに早く会えて嬉しい」
「ああ、俺も」


は俺の前の席に腰掛けて、鞄とは別に持った手提げ袋の中から、あのブランケットを取り出した。
膝にかけずにそのまま胸に抱いて、そっと目を閉じる。

「これが使えない間は…淋しかった」

あの1カ月を思い出してか、開かれたの瞳は少し潤んでいた。
に済まない気持ちでいっぱいになる。
ごめん。本当にごめん。 もう絶対に、あんな思いはさせない。 だから…

音を立てないように俺は席を立つと、の前に移動した。
ブランケットを抱き締めるの顔を上げさせて、その瞳に俺を映す。

「仁王君…」

体をかがめての唇に誓いのキスをした。


やっぱり俺はから離れられないと思う。




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