独りの条件 6



朝起きて目を開けると同時に、一番にに会えること。
授業合間の10分休みにも毎回が会いに来てくれること。
昼飯の時は俺がどこにおっても必ず見つけだして、
昼休みの終わりまで隣におってくれること。
部活の間もずっとコートにおって俺を見ていてくれること。
毎晩俺が完全に眠るまで、側にいてくれること。

喋りたくもない女達に愛想振りまいて仲良くして、が傷つく様を感じるのは辛かった。

でもこの1ヶ月間ほとんど一日中を視界に収めておれたんが、幸せだったのも事実。
の心を踏みにじって傷つけていくほどに、いつでも俺でいっぱいになっとるんが
それが手に取るようにわかって、本当に俺は幸せだったんだ。





マンションに帰ってからを居間のソファに座らせた後、本当に久しぶりにあのココアを入れてやった。

猫舌で甘党ののココアは、カップ6分目にしっかり温めたミルクを注いで
ココアの粉とブラウンシュガーと蜂蜜をひとさじ加えてよく混ぜる。 
仕上げに冷たい牛乳を8分目まで足す。

これを飲ませてやれるのも…これが最後。


が恐る恐る、カップに手を伸ばしたのを確認して、俺は風呂に入った。






居間に戻ると、はソファに座ったまま静かに眠りこんでいた。
ココアはしっかり飲み干されて、カップをその手に持ったまま。
俺が1ヶ月ぶりにあのココアを入れてやったもんだから、安心して気が抜けたらしい。

を起こしてしまわんよう、隣にそっと腰掛ける。
少しやつれたな、。 ……すまんかった。
意図してを辛い目にあわせたのは間違いだったと、今更のように胸がギシギシ痛む。

透けるように白いの手から、カップを外してテーブルに置いた。


慎重に抱え上げて、そのまま寝室へ。 の体に触れるのは、ほんとに久しぶりだと実感する。 
このままずっとを胸に抱いておれたらどんなにいいか。
抱き締めて抱き締めて、いっそ俺の手で壊してしまえたら…。



名残惜しい気持ちでをベットに横たえて、ベットの枕元に膝をつくと、
その左手を取って俺の頬にあてた。

さっきココアを飲ませて体が温まったはずなのに、の手はもう冷たくなってる。
そんなんじゃ遠くになんか行けるはずなかろうに…冷え性がひどくなって辛いだけ。

今のまま俺の側にいれば、いつだって暖めてやれるのに。

降り積もる雪の中、独り冷たい手を擦り合わせるを想像すると思わず涙が出た。


の左手を包み込んで何度も何度も口付けながらも、ずっと抑えていた愛しさが溢れて止まらない。

記憶にさえ刻み込まれればいいなんて、そんなの嘘だ。
俺はが俺を置いていこうとするんが、気に食わんかった。
そんな進路をが選んだことが許せんで…俺が傷ついたようにも傷つけてやりたかった。

…ガキだな。 それに嫌気が差すくらい自分勝手な言い分。
俺がについて行く道は選ばんくせに、には俺の傍に残ってほしくて悪あがきをするなんて。

そんな勝手すぎる自分への苛立ちに、の手を強く握り締めてしまう。
すぐに我に返って緩めたがのまぶたはかすかに揺れて、ゆっくりとその目が開かれてしまった。


「…仁王君…泣いてるの?」

の声。耳の中に柔らかく響いて、思わずいつものように反応を返してしまう。

「俺……が俺から離れようとしとんのが、本当は許せんかった。
  ずっと俺だけのものでいてくれると思い込んどったし…裏切られた気がして。
  だから俺と同じくらい傷つけてやりたくて、わざとの前で他の女にかまったりしとった…」

の顔をまともに見れず、俺は目を逸らす。 そんな優しい視線を俺に向けるな。

「それでもやっぱりを手放したくない。別れたくない。 どうしたらいいか、もうわからん…
  立海でテニスを続ける道も捨てられんくせに、も側におってくれんのも嫌じゃ…」

情けない。 俺の涙での左手が濡れてしまってる。

はしばらく黙っていたが空いた方の右手でスカートのポケットを探ると、携帯電話を取り出して
その状態から俺と左手は繋いだままで電話をかけた。

「…もしもし、お母さん?…うん、今、いつもの友達の家。
  今日、その子のご両親がいなくて夜が一人なんだって。それで明日は日曜だし、一人じゃ怖いから
  泊まっていってほしいって頼まれたんだけど…はい、ちゃんと気をつける。ありがと。
  明日の午前中には帰るから。うん、お父さんによろしく。…わかってます。じゃあ、おやすみ」

携帯電話をパタンと閉じて、俺に久しぶりの笑顔を見せてくれる。

「…?」
「事後承諾で悪いけど……今日の夜はこのまま、仁王君のとこに泊まってもいい?」
「もちろん。…悪いわけない」


は携帯電話を枕元に置くと、その手で俺の涙をそっと拭ってくれる。




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