独りの条件 5 



「仁王君。一言だけ言わせていただいてよろしいですか」

ロッカーの扉をパタンと閉めて、着替えを終えた柳生が俺の方を向いて言った。
口調はいつもの通り丁寧だが少し殺気だっとる。

「なん?どうぞ、言ってみんしゃい?」
君のことですがね。いつまでこんな戯言を続けるつもりですか」

どうやら柳生の目には、俺が他の女といちゃつく様をにみせて反応を楽しんどるように見えるらしい。
嫌な奴じゃ。その正義感ぶった面を、たまに本気で殴りたくなる。
本当に傷付いとうのはじゃない、別れを切り出された俺の方なんに…。

「他人の恋愛に首突っ込みなさんな。…余計な世話」
「…では、仁王君。貴方は昆虫の採集標本を作ったことがありますか」
「は?」


真面目な顔して、いきなり何を言っとんのか。
さすがの俺も突然の話の飛躍についていけんで間抜けな返事をしてしまうと、
柳生はそれに構わず話を続けた。

「あれは捕まえた虫を殺し腐らないよう加工して、その美しさを永遠に自分だけのものにする作業です。
  私は詳しい事情をしりませんが、貴方がさんに対して今行っていることもそれと同様でしょう。
  さんの心を貴方のものだけにすることが目的」

貴方はさんという美しい蝶に魂を捧げる執心ぶりでしたからね、と
俺を横目で見ながら柳生は言った。


「ここまでで何か反論は?」
「…一言、の割りにはえらい長い話じゃなかろうかと思っとる」
「それは失礼しました。ではすぐに結論を申しましょう」


いつの間にかロッカー室には誰もいなくなっている。

苛々してきて、ロッカーの扉を叩きつけるようにして閉めた。

今も寒いコートの側でを待たせとる。 言いたいことがあるならさっさと言え、柳生。
俺がに魂を捧げていたなんて、そんなことは俺自身が一番知っとることだ。

そういう当たり前の事実を、物知り顔で言うほどお前が浅はかじゃないってこともな。


「…仁王君、よろしいですか。今までは黙って拝見していました。 
  でも、貴方のしていることはもうとっくの昔に採集標本づくりの域を超えていますよ。 
  さんという蝶の羽を…ちぎり取ってしまうつもりですか? 違いますよね、もちろん。
  でもこのままなら、彼女の全ては貴方の手で確実に握り潰されてしまう…」

引き際くらい、聡明な仁王君ならわからないわけじゃないでしょう。


そういい終えると、いつもと変わらぬ足取りで柳生はロッカー室を後にした。


あっけにとられた気持ちと、反論の余地も無い釘を刺されて俺は呆然と立ち尽くす。 
それにしても最後の最後まで持ってまわった言い方をしやがって…柳生の奴。

反面、上手い言い回しだと思う。
『蝶の羽をちぎり取って』…か。あの綺麗な羽をちぎり取れたらどんなにいいか。
俺のもとにを留めておけるならどんな形でも構わない。 羽なんて無くて全然かまわん。
生きてさえいなくたっていいと思うほど、そのものが好きなのに。

どんなでも俺は愛しとうのに…柳生もそこまではわかっとらんらしい。
察しが良いようなふりして結局その程度じゃ、お前もな。


内心毒づきながら、密かに感じる後ろめたさもぬぐい切れなかった。

本当は自分でもわかってる。 もう充分すぎるくらいにを傷つけた。
心細くて泣きそうになっとるの瞳を見るのは俺が限界なんだ。 
俺がどうあがいたところで傷は誰かに癒やされてしまうし、は俺から離れていく…

それならもう、今夜で終わりにしよう。

諦めにも似た決意をしながらロッカー室の鍵をかけて、のもとへ向かった。




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