人魚が海を捨てる時 4





二人ずつ座って向かい合う4人用テーブルに通されて、私は観月さんの隣、ナツコ先輩が千石さんの隣で席についている。
私の正面にはナツコ先輩、観月さんの正面が千石さんという位置になっていた。だから、本当なら男チームと女チームで別れて焼き場を使った方がいいはずなんだけど、千石さんが譲らなかった。
俺はなっちゃんの隣がいい、焼き網もなっちゃんと二人一緒がいい。
そんな無茶な、と思ったしナツコ先輩も反論すべく口を開きかけたけど、観月さんがそれを封じる。

「いいんじゃないですか、僕はそれで構いませんよ」
「観月君…それ、本気で言ってる?」

ナツコ先輩が観月さんを軽く睨んだ。観月さんはもちろん、怯まない。

「一応今夜のスポンサーは彼ですからね、我侭の一つくらい許されてしかるべきかと思いますが」

正論だ。上機嫌で千石さんが観月さんに笑顔のお礼を言っていた。



確かに千石さんは純情一途な男の人ではなさそうだ。ただ、少なくともナツコ先輩に向ける気持ちは言葉で表現されてきたほど軽薄なものではないよう思える。

メニューの注文からお酒の追加、もちろんお肉を焼くペース配分も、千石さんにはおおよそ不自然さの見当たらなかった。綺麗な流れでこなしている。
でもそれは手馴れた適当さではなくて、ナツコ先輩に対して楽しい時間を過ごしてもらおうと、すごく一生懸命に心を注いでるかんじがした。

千石さんは会話の引き出しも多い。惜しげもなくそれを披露してくれていた。きちんと話にオチがついているので退屈しないし悪延びもしない。
ナツコ先輩も私と同じ事を思ったらしくそのことに言及した。

「千石クン」
「なに?なになに?なっちゃんどうしたの?」
「あなたの話は面白い」
「わー、ありがとう。なっちゃんにそう言ってもらえると俺ほんと嬉しいなー」
「でもそれって、それだけ色んな人を相手にしてきてるってことでしょ。男も女も、仕事も恋も」
「…えっと」
「否定できないのは肯定と同じよね」
「もしかして、俺のこといじめてる?」
「別に。ただの質問。男の被害妄想って見苦しいわー」
「あわわ違うってば誤解誤解。えっと…でも大丈夫!俺、今は超なっちゃん一筋だし!」
「ありがとう。でも、全然嬉しくない」
「なっちゃーん…」

千石さんとナツコ先輩は、案外と気が合っているように見えた。


そうやって千石さんとナツコ先輩が思いのほか楽しく噛みあった会話を繰り広げている間、私は何をしていたのか。
観月さんからビシバシと焼肉における指導を受けていた。

「それ、もうそろそろ上げていいころなんじゃないですか。というか、あげてください」

その5分後。

「もっと計画的に肉をのせていってくれませんか。同じ種類ばかりはやめてください」

さらにその5分後。

「僕はお酒くらい自分の分は自分で注げます。それより野菜を。君の傍ばかりにあるんですから」

すこし間を置いて15分後。

さん、君、そろそろ僕と網を共有してることを認識してくれませんか」




でも、総じて楽しい焼肉だった。
きっと観月さんの私への焼肉評価は落第点だったろうけど、それも含めて楽しかった。

千石さんとナツコ先輩のことを考える。もしかすると、あの二人はうまくいくかもしれない。
ナツコ先輩が繰り出すなかなかマニアックな話題に対しても千石さんは全然怯まなかったからだ。
あからさまに話をあわせている風だったら下心が透けて見えていたと思う。
でも守備範囲外であろう話題をナツコ先輩から振られた時、彼は宝物を見つけたみたいに一瞬だけ目を見開いて息をつめた。
そうしてその時だけは肉を焦がさず焼いていた手が止まる。そのまま呆けたようにナツコ先輩を見つめていた。話が終わってしまうのを惜しむように、じっとナツコ先輩の声に耳を傾ける。
観月さんが溜息をつきながら、千石さんのお皿へ焦げつく寸前のお肉をのせてあげていた。






あれ以降、4人で焼肉を食べに行くのが定例化している。
もともと観月さんが勝手に千石さんの約束を請け負ったんだから、千石さんののほとぼりが冷めるまで観月さんにもとことん同席してもらう、とナツコ先輩は言った。そして観月さんは私に、こうなれば君もとことん付き合うのが筋ですね、とそれこそ筋がとおっているようないないような宣告を投げてきた。
というわけで、二回目以降もナツコ先輩が私と観月さんを引き連れていった。

最初の時こそ本当に全額千石さんのおごりだった。
けど、それ以降は観月さんと千石さんの二人が割り勘で支払ってくれている。

 『千石におごってもらうほど僕は落ちぶれていませんので』

と、観月さんはやんわりかつグッサリと千石さんに断りを入れた。

私の頭の中でそれは、千石さんはナツコ先輩の分を負担して、観月さんが私の分を負担しているような図式に思えた。ただナツコ先輩はともかく、私にはそうまでしてもらっていい理由がない。

なんとなくそのことはずっと引っかかっている。




昼休みの終わり、廊下で丁度観月さんに会ったので思い切ってそのことを言ってみた。

「理由ならありますよ」

観月さんは廊下の白い壁に背を持たれて、腕を組む。

「え?あるんですか」

観月さんが私の分を負担してくれるのは理由がある。嬉しいと思った。なんだか私は、妙に何かを期待しているみたいだ。
廊下の先にあるはめ殺しの窓ガラスから、明るい真昼の日差しが差し込んでいて、観月さんの綺麗な靴の爪先を僅かに照らしている。

「あります。僕と千石とナツコさん、それ以外に誰か一人女性がいるということで全体のバランスがとれているわけですから」
「…バランス?」
「ええ、バランスです。ふてくされるわけでもなし、会話の流れを乱すでもなし、常識的な振る舞いで誰かが同席してくれれば、あの場の均衡は保たれる。僕としてはそれで十二分に御の字です」

そう話す間、観月さんは私の方を見ていなかった。日の差し込む窓の外へ、青空以外の何かを見つめている。感情の見えない横顔の観月さん。何を考えているのか知りたいと思ったとして、到底辿り着けそうにない気がする。何だかそれって寂しい。
数秒の間があった。観月さんがゆっくりと首をめぐらせる。

「心配しなくてもあなたに対して特別な意味なんてありませんよ。微塵もね」

観月さんは言いながら顔を私の方へ向けた。

「それで不都合は無いでしょう」

確かに無い。でも、すぐには返事を返せなかった。
胸の内側がどこか唐突に塞がれたように苦しくなってる。
私にとって本当は何か不都合があるからなんだろうか。そんな不都合に心当たりは無いつもりなんだけども。


さん?」

少し首をかしげて、観月さんが私を呼んだ。いけない、放心状態になっていた。

「あ、はい。…あの、大丈夫です。わかりました」

本心の言葉だ。
傷口を海水に浸したようなヒリヒリとした痛みが胸に生まれたものの、観月さんの理屈は一応わかった。
だから観月さんの目を見れなくても、割り切れない気持ちはとりあえず心の奥にしまっておく。

「そうですか。じゃあ、僕はこれで」

観月さんは行ってしまった。もちろん、振り返ってくれるわけない。
腕時計を見ると、昼休みがあと5分で終わる時刻になっていた。







デスクに戻ると、ナツコ先輩が先に席へついていて、開いた携帯画面をじっと見つめていた。私に気付いて、いつもの笑顔を向けてくれる。

「お疲れ、ちゃん」
「お疲れ様です。どうかしたんですか?」

携帯を私が指さすと、ナツコ先輩は黙って私へ画面を向ける。千石さんからメールが来ていた。
今まで行っていた焼肉屋さんは付属メニューの石焼ビビンバが美味しくないというのがナツコ先輩の主張として実はあった。
それを踏まえてか、メールの用件は石焼ビビンバはもちろんお酒ももっと美味しいところが見つかったので今週末はそこへ行こうというお誘いだ。
文末に、『観月君とちゃんにもよろしく伝えておいてねー』と書いてあった。

また4人で焼肉。ほんの数十分前までなら素直に受け容れられていたと思う。でもさっきの今、私は初めて行きたくないと思ってしまった。

よくよく考えたらおかしな面子なんだ。いくつもの組み合わせが掛け合わさって生まれた、不自然な産物とでも言うべきか。
私にとっては単純に、私とナツコ先輩と千石さんと観月さんの4人だと思ってる。でも他の人は違う。

観月さんにとっては、観月さんと千石さんとナツコ先輩、その他1名。私は空気のような扱いで、あたり障りなくそこにいればいいだけ。私じゃなくても代えが効く。
千石さんいとっては、ナツコ先輩とその他2名。本命のナツコ先輩以外は、実際のところむしろ邪魔なのかもしれない。
そうしてナツコ先輩にとっては…

グルグルと考えに沈み出した私の横で、ナツコ先輩は溜息交じりに呟く。

「ほんと千石君も懲りないっていうか飽きないっていうかさ。ちゃんは今週末大丈夫?もし予定あったら千石君に日程変えるように返信しとくよ。だから遠慮なく言ってね」

ナツコ先輩が何か言ってくれてるのは聞こえる。でも頭の中はそれどころじゃなかった。

そういえば、ナツコ先輩は千石さんと食事するにあたって、かたくなに観月さんが同席しないと駄目だと言っていた。それはつまり、ナツコ先輩にとっては観月さんと、その他2名っていうことなんだ。私と千石さんがむしろ部外者。それってつまり、だ。
今頃気付くなんて、私はほんとどうかしてる。ほんと馬鹿みたいにどうかしてる。

足先からスーッと力が抜けていった。

ちゃーん?どしたの?」
「あ、はい。…あの、大丈夫です。わかりました」
「ほんと?もうごめんね、毎度毎度付き合わせて」


私に気を遣って、そう言ってくれたナツコ先輩の目を見れない。
とりあえず席に座った。用も無いのにデスクの引き出しを開けて、ガチャガチャと中の文房具を漁る。
手に取った青い付箋紙を一枚はいで、二つにペタリと折り曲げてからホッチキスでとめると、それをもう一度引き出しの奥の方へ放り込んだ。

この気持ちも、今は心の奥にしまっておこう。だって今すぐには整理なんてつけられない。
自分で自分の気持ちもはっきりとわからないのに、傷ついたような気になってるのはおかしな話だろうか。

確信が持てたらその時に、もう一度考えてみることにした。

時間を置けば少しは落ち着いて見えてくるはずだ。



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