美しき設計図 12




涙でグズグズになったしまった。

情けない、この年になっても、観月君に全然敵わない自分が情けない。私はもう大人なのに……。


その時、静かにドアが開いて、観月君が戻ってきた。


「涙は、もう止まりました?」
「……おかげさまで」

そうですか、と軽く笑った観月君はライティングデスクの上に置かれていたシャンパンを手に取ると
それを馴れた様子で開けてみせた。

「へぇ…にしては、なかなか良いものを選べたみたいですね」


失格って言ったくせに。嘘つき。気分屋。意地悪。根性悪。

心の中で思いっきり毒づいてるのがばれてしまわないよう、そっぽを向いて、観月君から顔を逸らす。

「グラスが一つしかなかったんですけど……いいですか?」
「…別にいいよ」

『乾杯』なんて言いながらグラスを合わせなくて済むなら大歓迎だ。
なんなら、私はボトルを直接ラッパ飲みしてやってもいい。

グラスの八分目までシャンパンをつぐと、観月君はそれを私の方に向かって目の高さにかかげてみせた。


「では、お先にいただきます。と僕の、長い幼馴染付き合いの記念すべき終止符を祝して」


よっぽどそんなことが嬉しいんだろうか。
観月君は一気にグラスの中のシャンパンを飲み干すと、この上ない満足そうな顔で唇を軽くぬぐう。

もう、お別れだ。 悲しすぎて今更涙も出てこない。
観月君にはお荷物から解放された喜びの盃でも、
私には愛しさを感じてしまった大事な人を手離す喪失の盃。


私のために二杯目のシャンパンを空いたグラスに注ぐのを眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
と、観月君は一旦私に背を向けて、どうやら机の上に置いたシャンパンに栓をしているみたいだ。
拷問のような儀式だと思う。
それを余裕の笑顔でやってのける観月君は私にとって悪魔だ。好きな人なんかじゃない。




でも振り返った観月君は……手にグラスを持っていなかった。
さっきまでの私を小馬鹿にしたような態度とは違う、真剣な目で見据えてくる。

「…観月君、私の分のシャンパンは…」

言いかけた私の言葉を観月君は私の唇に人差し指を当てて遮った。
私が大人しく口を閉じると両手で私の頬を包み込んで、
体をかがませながらゆっくりとその綺麗な顔を下ろしてくる。

いけない、これは。このままだと、前みたいにキスされてしまう。

そうわかったのに、私に目を逸らすことさえ許さない真剣な目で観月君が瞳を射抜いてくる。

これ以上その視線と近づく唇を見つめることに耐えられない。
もう観月君に関する記憶なんて何一つ増やしたくない。

だから私は、唯一の抵抗として目を閉じた。



なのに、それは一瞬触れるだけでは終わらない。

私の顔を少しだけ上に向かせると唇をこじ開けるようにして、深く、深く口付けてくる。
口付けたというより、観月君が舌と一緒に私の口の中に注ぎこんだものは……。


驚きながらも私がそれを飲み下したしまうと、観月君はやっと唇を離してくれた。


「どうです、良いシャンパンでしょう?」

呆然とした私は、とりあえず黙って頷くしかない。
その私の体を観月君はそのままベットに優しく倒して、上からそっと押さえつける。


……さすがに目が覚めた。

もう、帰らなきゃ。私には観月君のやること成すこと考えること全部理解不能。
でも、好きなんだけど、でもでも、これはさすがに良くないのは分かる。
帰らなくちゃ、観月君を殴ってでもここから出て行かなくちゃ。


観月君の胸を押し返すために腕に力を入れかけると、観月君が冷静にそれを捕まえて
私の抵抗を完全に封じてしまった。


が今何を考えてるのか、あててあげましょうか」
「………あてなくていい。帰るから」
「んー…意地悪な真似をしすぎました?僕」
「……そんなことない。普通だよ、観月君は。私が馬鹿で変なの。
  だからもう帰る。帰らせて……観月君と彼女の邪魔者になりたくない」

自分でも意外なくらいに冷静に答えることができた。

そうなんだ。 いつでも観月君の意図を理解しきれない私が馬鹿だから一人で戸惑ってしまったけど
落ち着いて考えれば答えは簡単。

観月君と彼女の邪魔になるのをわかってながら、こんなとこにきた私が悪い。


「さっき、シャンパン飲みましたよね?」
「……あれは飲んだって言わない」
「ふふ。僕は合理主義なものですから無駄な手間は嫌いなんです。
  だから…幼馴染との決別も、恋人との乾杯も、愛しい人への口付けも
  一度に済ませてしまいたかったんですよ。……理解できました?」


理解できたとも理解できないとも言いかねて、私は黙ったまま体を強張らせたままでいた。

だって観月君のその言い方だと、まるで私に彼女としてキスしたみたいに聞こえる。
そんなことを期待して「勘違いにも程がありますね」なんて言われたら……
さっきから、観月君は私に苦しい思いをさせるようなことしか言わないせいで
どうしても心が怯えて踏み込んでいけない。

他の人になら、その倍にひどいことを言われたとしてもすぐ忘れてしまえるけど
観月君の言葉は私の中で良くも悪くも消えてくれないんだ。


「これ以上、僕から意地悪なことを言われるのが、怖いですか」

少しだけ顎を引いて頷いた。怖い。そうやって、男の人の顔で私を見下ろす観月君が怖い。
真っ赤な唇が綺麗に弧を描いて、この世で一番美しい微笑を作ってる。

「…は、昔から順序だてて説明してやらないと駄目な子でしたからね…。
  じゃあ、一つ一つ、教えてあげますね」


「もう、僕達は幼馴染というだけの関係じゃない」

そう言って、私のまぶたに唇を落す。

「これから、は僕の彼女ですから」そう言って、私の額にも唇を。

が僕に恋をするずっと前から、僕はに恋をしてました。
  いえ、恋しさにも勝って、ただのことが…愛しいんです」 

そう言って私の唇に……3度目のキスをした。

観月君の意図するところが、さすがにわかってしまったかもしれない。もしかしたら、本当にもしかしたら……


「4年間待ちくたびれましたよ、本当に長くて…。彼女がいるなんて嘘です。
  の気をひくためだけの嘘に決まってるでしょう」


だけが、好きですよ。


その言葉と共に、観月君は優しく私の体にのしかかった。




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