美しき設計図 7



『聖ルドルフ学院 男子寮』

そう書かれた門柱に寄りかかって、観月君は待っていた。
歩いてくる私の姿に気付いても、観月君の方から駆け寄ってくることなんてない。
軽く手招きをして私の方から近寄ってくるのをその場で待つのは昔から。

その理由は『僕の方から近づいていって、逃げられるのが嫌だからです』……変な話だと思う。
他の人ならともかく、少なくとも私に関してはまずあり得ないことだ。
だいたい『ちょっとは僕離れの道を探したらどうですか?』って何度も言っていたくせに。


ともかく、私は歩く足を速めて、観月君のもとへ駆け寄った。

やっぱり観月君の姿を見ただけで安心する。
400グラム増の後ろめたさは消えないものの、混乱だけは収まった。
電話口であんなに泣いたりして、ちょっと顔を見られるのが恥ずかしい…。

罰が悪くて黙ったまま、向かいあわせに立った私を観月君はしばらく腕組みを崩さないまま観察していたけど
ひとしきり満足したのか、ふふっと含み笑いを漏らして腕組みを解いた。

そしてその手を、私の方へ伸ばす。


「たくさん、泣いてしまったみたいですね」

まだ涙のあとが残る私のまぶたに、そっと手を触れて観月君は私の目を閉じるように促した。

観月君の言うとおり、年がいもなく沢山泣いてしまった。
それだけ真剣にダイエットに取り組んだ証……なんて、ちょっと強引なこじつけかな?

冷たい指先の感触にされるがまま目を閉じると、もっと柔らかい何かが私のまぶたに触れた。

口唇……観月君の?

驚いて私が目を開けたと同時にふわっと体が傾いて、観月君の腕の中にすっぽり収まってしまっていた。
背中に回された観月君の腕がそっと私を拘束して、抱きとめるその胸の厚みだけが私の視界を覆う。
観月君が私を抱き締めてる。

シャツ越しに伝わる観月君の体温が、これが夢じゃないって教えてくれるけど
でも、やっぱり夢のような気がして瞬きすらできない。


「きっと…泣きながら電話してくると思ってました」
「え?」

怒らないでくださいね、と前置きして観月君は声に笑いをにじませながら
私の体をそっと包んだ状態のまま話を始める。

「体重が増えたのは停滞期に入っただけなんですけど…きっとのことだからパニックになって
  泣きついてくるのを…僕はそれを待ってたました」
「……迷惑なだけでしょ、私が泣いたりしたら」
「いいえ、まったく」
「嘘!」

思わず大きな声を出してしまった。

だって、今でも忘れない。
観月君がテニスのために県外の学校へ引っ越してしまう日の前日のことだ。

夜、観月君にお別れの言葉を伝えようと思って会いにいったけど、
顔を見ただけで私は悲しくて泣いてしまった。
「今までありがとう」って、それだけ何とか言おうと思ったのに、涙が邪魔をしてなかなか言い出せずにいたら
観月君は大きな溜息をつきながら、苛立たしそうに言い放った。

 『泣くなら他で泣いてください。僕にどうしろって言うんです』

どれくらい、その一言に傷ついたか。

それが忘れられなくて、さっきの電話でも出来るだけ泣かないようにしたのに。


そう観月君に伝えると、しばらく観月君は黙っていた。
ほら、やっぱりそうなんだ……。私が泣いたら迷惑なくせに、観月君の嘘つき。
口に出しては言えないけど、心の中で観月君を非難する。

私をしっかりと抱き締めたまましばらく沈黙の後、観月君は、はっきりとした口調でこう言った。


「まあ…あの時と今じゃ、状況が違うということです」

……状況?

唐突に出てきたそんな答えじゃ私の疑いは消えない。
あんなに冷たい言葉は簡単に取り消せないんだよ、観月君。
つい恨みがましい目つきで見上げると、観月君は少し遠くの方を見つめて、何かを思い出しているようだった。


「……観月君?」
「僕は……昔からが泣くのが好きでした。この世の果てをみたように悲しげに泣くんですよね、いつも。
  そのが泣きながら一心に、僕だけに救いをもとめて寄ってくる……そうですね。
  正確には、泣いているを慰めることが好きでした」

もちろん、それは今も変わってません。

なんて観月君は平然と言ってのけたけど、そんなこと初めて聞いた。
正直、観月君は意地悪だから、私が悩んで泣いてるのを見て楽しんでるのかと思っていたくらいだ。


「僕の特権だったんです。をピタリと泣き止ますことができるのは」
「じゃあ……それならどうして、あの晩はあんなこと言ったの?慰めてなんてくれなかったじゃない」
「……それは…僕がどうしたって慰めてあげられない涙だったからですよ。口がさけても言えやしない。
  僕が引っ越すせいでが泣いてるのに、それを『泣かないで』だなんて、そんな無責任なこと。
  でも…の涙を見ていることも辛くて、それで追い払うようなことを言ってしまったんです」


そうだったのか…。
でも、観月君らしい考え方に、深く納得した。

「4年も経ってしまいましたけど、ひどい言い方でしたね。謝ります」
「ううん…そうだよね。観月君が理由もなくあんなこと言うはずなかったのに
  気付かなかった私が鈍かった。……ごめん」
「まぁ、それは否定できません」
「もう!」

軽く観月君の胸を叩いてみせると、観月君は「ほら、もうすっかり元気になったでしょう?」なんて
少しのからかいを含みながら笑ってくれた。

ほんとに、観月君は優しすぎるくらい今の観月君は優しい。






「減量をして体を絞っていくとね、体が一定のところで反抗しだすんです。
  ですが、これこそが健康的に減量が行われている証拠なんですよ?」
「…意味がわからない。減らないのに、なんで健康的なの?」
「そうですね…。どこから説明しましょうか。
  そう、もともと動物の体は、栄養を逃がさない仕組みになってますから
  ダイエットなんてものは、体にとって歓迎しにくい異変なわけです。
  ですから、ある程度のところで体重減少が止まったり、増加さえしてしまうのは
  体が体重減少という異変を感知して、自動的にセーブをかけた証拠なんです」

寮の最寄のバス停まで送ってもらう道すがら、
今回の発端になった『停滞期』についてレクチャーを受けながら歩いていく。
観月君の説明に納得できた気がしないでもないけど…そんな自動セーブ機能なんて頼んでないのに。

そう私が言うと、観月君はちょっとおどけた声に切り替えて、話を続ける。

「おやおや、いいんですか?この機能が働かずに体重が右肩下がりに落ちていくダイエットというのは
  体そのものを破戒しながら行われているってことなんですよ」
「…それは、嫌だ」
「でしょう。ダイエットはスピードじゃありません。いかに健康を損なわずにやるか、これに尽きます。ね?」

なるほど……うん、今度はしっかり納得できた。
観月君は本当に私の道しるべをしっかり示してくれていて、感謝してもしたりない。





そうこう話を続けているうちに、バス停まで着いてしまった。

「もうだいぶ時間が経ってしますから。帰り、気をつけてください」
「うん、ありがと。観月君こそ……寝る時お腹冷やさないようにね」
「……僕をいくつだと思ってるんです」
「へへ、冗談よ。今日、泣かされたお返し」

と、軽い気持ちで言った私の言葉に観月君は真顔になった。

そのまま一歩踏み出して、私の真正面に立つ。

「そうですね。泣かせてしまいました…。
  でも久しぶりにの涙を見て、ちょっと僕も我慢できそうにないので…」

少しだけ、先払いをいただきます。



先払いって、何の先払いのことだろう…と私が思いを巡らす間にさらに観月君が一歩踏み出した。

そして今度こそ、観月君の唇は私の唇に降りてくる。
 

一瞬触れただけだけど、でも、確かにキス。観月君が私にキスをした。


「観月君…」
「嫌でしたか?でも、もうもらってしまいましたから」

そう言葉を紡ぐ観月君の真っ赤な唇に、今になって胸が痛いくらい跳ね出す。

「いや、いいんだけど…」

いいんだけど、いや、観月君には良くないだろう。だって観月君には彼女がいる。
観月君をあんなに優しく微笑ませて、こんなに頼もしくした彼女がいるのに
私にキスなんかして、いいはずがない。

でももうキスされてしまったし、今更返せるものじゃない。返したいのかと言われたら、そういうわけでもなし…

嬉しいのか悲しいのか、よくわからなくなってきた。………ここは早く家に帰って頭を冷やそう。

今はとにかく、観月君の唇に目が行かないようするだけで精一杯だ。





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