美しき設計図 5



ルドルフ学院の寮が、すぐ目の前に見える川にかかった橋の中ほど。

そこまで私が小走りでも追いつけない早足だった観月君が、ピタリと止まって後ろの私を振り返った。


、一つ訊いておきます。これ…僕があの時声をかけなかったら、家に帰って食べるつもりでした?」
「そ、それは…できるだけ、我慢するつもりではあったんだけど…」
「僕との約束は……あんな男に負けてしまうわけですね」
「そんなことないけど、せっかく私に気を遣ってくれてたから、断れなくて」
に気を遣った?ふん、どうしてそんなことがわかるんです」

片眉をヒュっと吊り上げて、観月君は問いかけてくる。
どうしてって言われても…どこから説明したらいいのかな。

「えっとね。わざわざあのお店のシュークリーム買ってきてくれたんだと思うの。
  前に一度、君と…あ、さっきの人ね。彼と二人でお使いに出された時、
  デパ地下で『ここのシュークリームが大好き!』って話したから…」
「『君』と、『二人で』ね。……そうですか」


観月君は低い声でそう呟いて、しばらく下を向いていた。

食い意地張ってると思って…呆れられたらしい。
いたたまれなくて恥ずかしくて、私も自然と下を向いてしまう。


しばらく無言・無音の状態が続いたけど、ふと視界の端にあった観月君の右腕が上がりかける。

その右腕を付け根から振り回して、観月君は手に持ってくれていたあのシュークリームの袋を……投げた。
迷いも無く放り投げられたシュークリームの袋は、大きな弧を描いて飛んでいく。
ぐんぐんと遠ざかって、夜の黒に消えていって…
それを目で追ううちに一定速度の落下の末、ボシャっと川の中に落ちた。

……さすがテニスをしているだけあって綺麗なフォームだと、思わず見とれてしまう。

そして、あのシュークリームが全部手付かずで川の中。

そんな!!


ハッと我に返って橋の手すりに駆け寄って袋の行方を捜したけど、
もうあたりが真っ暗なせいでどこを流れているのかさえわからない。

なんてもったいない………涙が出そう。私が食べるにしろ食べないにしろ、袋ごと川の中だなんて…


「あぁ、手が滑ってしまいました」

手すりに寄りかかった私の横に立つと、観月君はポツリとそう呟いた。

なんて白々しい言い方をするんだろう。
手が滑ったも何も、思いっきり放り投げたじゃない。

さすがに私も頭に血が上りかけて、文句の一つでも言おうと顔を観月君に顔を向けたんだけど
見上げたその表情は、なんだか泣きそうだった。私よりよっぽど辛い顔をしてる。

川の向こうを見つめたまま、口をキュッと結んだまま動かない観月君。

シュークリームはもったいない…
でも、観月君にこんな顔されたら怒る気力も失せてしまうし
怒りがどんどん下降するにつれて、冷静になっていくと今の観月君の気持ちがわかってしまう。

本当は悪いって思ってくれてるんだ。
観月君はプライドが高いから、自分が心底悪いと思ってる時ほど
素直に謝れずこんな風に泣きそうな顔になる。
口先だけの「すいませんね」の一言より、よっぽど観月君の反省が伝わってしまう。


私がじっと見つめる視線を感じたらしく、観月君は私の方を向いてそっと私の手をとった。

体温が低いところは相変わらずだけど、すっかり男の人の手。

「…
「なに?」
「僕を……許してくれますよね?」

いつもの断定する言い方じゃない。
祈るような、願いを込めるような言い方の観月君に胸が痛む。

そんな顔しないでほしい。どっちがどう悪いのかわからなくなってくる。

そりゃあ、観月君がシュークリームを川の中に投げ捨てたのは腹も立つけど、 
もとはといえばはっきり「減量中なので」って断れなかった私が悪い。
自業自得ですよって、いつもみたいにピシャリと言われてもおかしくない状況だった。

観月君は……私よりは悪くない。


「…うん。許すよ。観月君を許す」
「そうですか……良かった」

はぁ、と息をついて、観月君は握っていた私の手を改めて握り直すと、改めて私をジロっと見た。


「…はい」
「…不用意に僕以外の男から物を受け取らないでください。色々と差しつかえます……いいですね?」
「うん、ごめんなさい。……観月君が専属トレーナーだったもんね」
「まったくですよ。今日だってダイエットの妨げにならないローカロリーのものが用意できたから、
  わざわざ会社まで迎えにいってあげたっていうのに……」

の分際で僕をなおざりにするなんて許せない話です、と眉根を寄せながら、
観月君は一気に文句を並べ立てだした。

ああ、もうすっかりいつもの観月君。
さっきまでの気まずさが消えて、安心に肩の力抜けてきた。

「さ、グズグズしてないで行きますよ」
「はい、観月君」
「……なかなか良い返事です。プラス10点さしあげましょう」
「はい、ありがとうございます」

観月君は優しく私の手を引いて歩き出す。さりげなく私の歩調に合わせて、そっと歩道側に私を引いてくれた。


川を流れていっているであろうシュークリームにこっそり「ごめんね」と謝って、観月君に体を寄せる。




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