美しき設計図 4



観月君の計画書は本当に綿密にできていて、ダイエットの参考書としてこれ以上のものはないくらいだ。
筋力トレーニングやストレッチは最初のうちこそきつかったものの、
1週間もすると体が悲鳴をあげることはなくなった。


「ダイエットのコツの一つは筋肉の相対量を増やすことです。鍛えれば鍛えただけ効果が出ますからね…」


観月君がそう言った通り、毎日ほんの30分ずつしただけで今まできつかったパンツがきつくなくなっていたり
こころなしか体か軽くなりつつあるような気がする。

そういう小さな変化が、すごく嬉しい。



運動は慣れれば苦にならなくなったけど、食事制限だけは3週間が経過した今でもつらく感じることがある。
もともと甘い食べものが大好きだし、お肉も油物も大好きだ。
それを一切絶つというのは、食事内容が180度変わるようなものだった。

特にこれまでは、夜、寝る前にお菓子やインスタント食品をガバっと食べることが多くて
その悪癖が今の結果を生んでしまったことは、わかってるんだけどね。


 『具体的には、どういう理由で就寝前に食事をとりたくなるんですか?』

真剣な顔で観月君に訊かれて、はっきりと頭に浮かんだ答えは
…苛々した気分のまま家に帰ってきちゃうせい。これに尽きる。

もともと私はアルバイト先や学校での人間関係での悩みを、飲み会やカラオケで発散するタイプじゃない。
重たい気分を引きずったまま帰宅して、とりあえずバババっと何か食べることで気持ちに区切りをつけていた。

昔はこんなことなかったのに、観月君がいなくなってからこうなった。

観月君がいてくれた昔はどんな小さなことでも観月君に報告して、
その話を聞いてもらってるうちに元気を取り戻していたけど、それができなくなって本当に苦しくなった。
離れてから初めて、そうやって何でも相談できる相手が観月君しかいなかったことに気が付いたんだ。

本当の意味で心を許せたのは観月君だけだったと、つくづく自覚した。


『強いて言うなら、その観月君がいなくなって寂しくなったせいかな…』

そう答えた私の言葉に、観月君は満足そうな笑みを浮かべて念を押すように言った。

「これからは昔以上に、どんなことでも僕に相談してください。
  それがのストレスを減らすことになるのならお安い御用です。
  にとっての道しるべは…全て僕が示してあげますから」

明日からは僕がの専属トレーナーです、って笑ってくれた観月君。

本当にどうしちゃったんだろうっていうくらい観月君は優しくなった。

優しすぎて、頼りがいがありすぎて…幼馴染としてじゃなく、一人の男の人として好きになってしまいそう。
そんなことになったら観月君は困るよね?





ダイエット計画を実行してちょうど1ヶ月目の日。
仕事を終えて会社の通用口から出たとき、「さん!」と呼び止められた。

振り返ると、同期の男の子が走ってくる。

「お疲れ様。どうしたの?そんなに急いで」
「いや、この前さ…俺、企画書の中でものすごいミスしちゃってたのに
  さんが印刷配布前に、間違い箇所見つけて訂正してくれてたんだろ?
  ほんっと、助かった。だから…そのお礼に!」

そう言って彼が差し出したのは…

私の大好きな洋菓子店の、シュークリーム詰め合わせ。

袋と、その大きさだけで中身までわかる。大好きで、大好きで、天国の味とすら思う。

普段なら手放しで喜んで受け取れるんだろうけど…今は違う。
観月君まで巻き込んだ、ダイエット中だ。

困った。

今は減量中だからと言って突き返せば角が立つし、何より彼の好意を無駄にしてしまう。
かといって受け取れば、食べずにいられない。


迷っていた私の手を掴んで、彼はしっかりと袋を私に受け取らせると
明日からもよろしく!と言い残して、再び会社の中に入っていった。

ああ…結局、受け取っちゃったよ…。

どうしよう、と思いながらも袋の中から漂う、久しぶりの甘い香りに顔がにやけてしまう。
条件反射に近い反応だ。その味を想像しただけで、幸せな気分になってきた。
1ヶ月めのご褒美に…一つだけなら……



「そんなに、あの男にもらったことが嬉しいですか?」


真後ろから声がしたので驚いて振り返ると……観月君がいた。

テニススクールの帰りなのか制服姿にテニスバックを抱えて…夜の闇であんまり表情は見えない。
でもまだまだ1ヶ月目なのに一瞬でも食べようと思ってしまった後ろめたさに、
観月君へ真っ直ぐに向かい合えない。


「えっと…ごめん」
「どうして謝るんです?それを受け取ろうが受け取るまいが、の自由であって僕には関係ないことです」


突き放すような観月君の口調。
私の意志の弱さを責められているような気がして何も言い訳できない。

観月君もしばらく黙っていたけど、スッと私の方に手を差し出した。


「貸してください。僕が持ってあげましょう」
「え?えっと…」
「ちょうどダイエットを始めて1ヶ月ですからね。
  記録ノートを見せてもらって微調整でもさせようと思っていたところです。
  今からなら、まだ寮に来て話す時間くらいあるでしょう?」

寮に着くまで僕が持ってあげますから、その袋貸してください、
とニコリともせずに言われたら、従うしかない。

やっぱり…一瞬でも「食べたい」って思ったのがバレて、
もっと厳しめの計画に切り替えなきゃって思ったんだ。
観月君にわからないことなんてない。

恐る恐る差し出した袋を受け取ると、観月君はさっさと歩き出した。


ああ、すっごく怒ってる。
観月君が長々と嫌味を言ってくれるうちは、本気で怒ってるわけじゃない。
本気で怒ってる時は…「相手の顔を一秒たりとも見ていたくない」って、足早にその場を去ってしまう。
今みたいに、すっごく早足で歩いていってしまうんだ。

久しぶりに触れてしまったらしい観月君の逆鱗に、
途方に暮れそうになって私がその場に立ち尽くす間にも観月君はどんどん先へ歩いていく。

せっかく観月君が立ててくれた計画を、私自身が壊そうとしてたんだ。怒って当然……。

きちんと謝るタイミングは、寮に着くまでつかめそうにない。
そう思いながら観月君の後を追って走り出した。





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