新月の日に 10



信じらんねえ、と怒りを噛み締めるように呟いて、岳人はそっぽを向いてしまう。


「岳人、話をしに来てくれたんでしょう?それなら…こっち向いて」

そう私が言うと、岳人は渋々顔を私の方に戻した。
さっきまでと全く立場が逆だと思うと少しだけ笑えてくる。


…私は、単に不安だったんだ。
岳人が本当は梨乃ちゃんの方を好きなのに、それを自覚してないだけなんじゃないかと。
でも、それを自分で確かめる勇気もなくて昔の彼に甘えて誤魔化した。


今こうやって、びっくりするくらい嫉妬の感情を表してくれる岳人を目の前にして
逆に気持ちがどんどん落ち着いていくのを感じる。
さっきまでは抱き締められていても心が不安に揺れて、
岳人が梨乃ちゃんの名前を口する度に、岳人への疑いが募ったのに。


切れてしまうんじゃないかと心配になるくらい、岳人はギリギリと唇を噛んで私を睨む。
その視線がきつければきついほど、まっすぐな岳人の気持ちが伝わって
私は素直に何でも話せる気がした。

 
「ごめんね。でも…岳人にわかってほしい。私だって今の岳人と同じ気持ちだった、ずっと。
  私のいない時間を岳人と一緒にいる梨乃ちゃんが妬ましくて、その梨乃ちゃんが傍にいることを
  平然と許す岳人のことがどんどん信じられなくなって、ほんとに苦しかった」

できるだけ岳人を刺激しないよう、言葉を選びながら言ったつもりだったけど
それでも充分すぎるくらい岳人ははっきりと非難の色を持った視線を向けて私に噛み付く。

「だからふざけんなって!そんなら最初から俺に言えばいい話だろ!…なんだよ。
  苦しいからって…他の男と会ったりすんな!俺は、俺は…そんなに頼りねえか?」

ああもう、と岳人は苛立たしげに頭に手をあてて髪を荒くかきむしる。
疲れたような大きな溜息をついて、私の返事を拒否するように視線を斜め下に逸らした。


「そんなことない。ただ…私が変にプライドとか考えちゃって。
  年上だし、くだらない焼きもち妬いてるなんて岳人には知られたくなかったから。
  だから彼には溜まってた愚痴をたくさん聞いてもらっただけで何も…」
「もうわかった。もう、いい。もう今は何も聞きたくない。
  …は俺の気持ちわかってねえし、俺もの気持ちがわかんねえ」

そう言って岳人は乱暴にベットに体を投げ出すと、私に背を向けてしまった。

でも、薄明かりの中に見える岳人の肩はかすかに震えてる。

やっぱり、彼と一緒にいたことまで言うべきじゃなかったのかもしれないと
今になって初めて思う。



「おい
「なあに?」
「もう…話すことねえだろ。そんなら俺、もう帰るからな。
  俺だってのこと…もう嫌いだ。あんな男に頼るんならあいつんとこに行けよ」

名前だけの彼氏なんて、馬鹿にすんな。

最後の方の言葉がはっきりと涙声になっていて、岳人が今、すごく傷付いてるのがわかった。

本当に岳人の言うとおりだと思う。
本音を言うべき岳人に体裁を繕って何も言わないで、
昔の彼氏に泣きついて愚痴をもらすなんて…私が悪かった。

でももう今更、お互いに何を弁解しても駄目だと思う。
そう複雑な行き違いがあったわけじゃないけど、どうしても歩み寄るタイミングが合わない。
梨乃ちゃんの件では、岳人が悪い。そして今夜の件では、私が悪い。

それがこんな風にからまってしまった原因は…今ならわかる。
二人ともどこかで相手の気持ちに自信がないんだ。
岳人と私は出会ってから沢山の時間を過ごしてきたけど、言葉だけじゃ伝わらないものや
言葉だけじゃ伝わりきれない想いの分を教えあわないといけない時がきた。


岳人の背中に体をくっつけるようにして横になると、後ろから岳人を抱き締めて
そのまま、岳人の首筋にそっと唇を寄せて口付ける。



「岳人。…岳人の気持ちを私がわかってないって言うなら…言葉以外で教えてほしい」

その意味を、わかってくれるはず。

少し不安にもなったけど、岳人はゆっくりと私に体を向けてくれた。
間近で見ると半分泣きそうな顔に、そっと手を伸ばして頬に触れた。

、それ…誘ってんのか」
「うん。他の男の人のとこになんて私は絶対に行かないし、これからは岳人に何でも話す。
  でも、その言葉だけで安心できる?何も無かったようにできる?」
「……できねえ。できねえけどでも…。言葉以外なんて、俺…その、なんつーか」
「じゃあ、やめよう」
「やだ!」


ガバッと私の体を抱き締め返す岳人は、どうやら意味を察してくれたみたいだ。

まあ、あんまり奥ゆかしい真似をしたとは言えない。
年上の女の方から誘うなんて、構図としてなんだか不健全な感じがする。
でも年上・年下に私がこだわり過ぎてたせいで、こんな風に岳人と擦れ違ってしまったんなら、
もう余計なことを気にして保身に走っちゃいけないと思った。

それに、私の方から誘ったからと言っても別に自信なんて全然無い。
岳人に私を気持ち良くさせてほしいわけでもない。

ただ…言葉だけじゃ伝わらない心の奥を、直接に感じさせて欲しいし
私の気持ちも感じ取って欲しいから体を寄せた。

岳人も、それはわかっているはずだ。


でも…男の子で、しかも初めてだから色々それ以外に考えるところがあるんだろう。
うーん、と思案の唸り声を出して不安そうに私の瞳を覗き込む。


、俺のこと…嫌いにならねえか?その…俺が、あれだから」
「岳人の方こそ、自分から誘うような女を嫌いにならない?節操ないって」
「なわけねえだろ!好きなんだから」
「それと同じ。岳人自身が、好きなんだから嫌いになんかならない」


私の切り返しにちょっとだけ緊張が解けたのか、岳人は肩の力を抜くと
私の手を取って、そのまま自分の胸にあてた。
まだ私の涙で少し湿ったシャツ越しに触れた、その胸は…


「…岳人の心臓、壊れちゃいそう」
「だろ?あーもう、くそくそ…どうすんだよ…」

複雑な心境だ、と言わんばかりに眉をハの字に下げた岳人と顔を見合わせると、
思わず二人で笑いが出て、本当に久しぶりに岳人に触れた気がした。

ああ、今、どんどん岳人との間にできていた溝が嘘のように埋まっていくのがわかる。
でも『以前のように』ではなくて『以前よりももっと』私達は近づきたい。

コホン、と軽く咳払いをして岳人は体を起こすと、
私の体をまたぐように、耳元の傍でそれぞれ両手をついて、私に覆いかぶさった。

真剣な瞳で私を見下ろす岳人は間違いなく男の人の顔だ。


「なあ、
「…はい」
「下手かもしんねえけど。それでも、俺がのこと好きだって気持ちは…ちゃんとわかれ。
  そんでも俺のこと好きだって、ちゃんと教えろ」
「……はい」


そうして、私にのしかかってきた岳人の体の重みを感じると
それだけでこれから起こることへの予感に体が疼いた。

岳人から熱い口付けを受けながら、私はそのシャツのボタンに手をかける。






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