新月の日に 8





岳人には「先に服だけ着替えるから」って言ったけど
正直なところ服を着替えてまで、じっくり話す気なんてなかった。

そのままベットに倒れこんで、ただ、時間が過ぎるのを待っている。
彼からもらった花束も枕元に置いたまま、服だって皺になってもかまうものかと、そのままだ。



思いっきり喋ってきた。
岳人のことにも、梨乃ちゃんのことにも、思いつく限りの暴言を吐いて
自分がどれくらい馬鹿なのかも、さんざん嘆いて強引に心の中を空にしてきたかんじ。

確かにライバルが更に年下の女じゃ勝ち目は薄い。彼はそう少し気の毒そうに言ってから
その後、割り勘のつもりだったけど今夜はおごってやると、わざわざ高めのお酒を頼んでくれた。

やっぱりそうだよね…。

ベットの枕元に置いた花束は、帰りのタクシーを拾う前に通りかかった花屋で
「ささくれた心には花が一番」という笑ってしまうくらい気取ったセリフ付きで渡されたものだ。
無駄にキザなところは相変わらずだと、思い出しても苦笑が漏れる。




沢山話してきたから、もう岳人に話すことなんて何もない…
そう思ってベットに寝転んだままでいたら、寝室のドアが軽くノックされた。
でも返事はしない。岳人がそれに怒って、帰ってくれれば一番いい。

じっと横になって目を閉じたままでいたのに、岳人はそっと寝室のドアを開けてしまう。



…。起きてんだろ」

普段は鈍感なくせに、こういう時は勘がきくんだね。
まぶた越しに僅かな光が差し込むのを感じたけど、それでも絶対に目を開けない。

「…眠たいの。やっぱり話は明日にして」
「いやだ」

…そう言うとは思ったけど。バカ岳人。


でも、本当に疲れてるんだってば。体も心も疲れきってる。
いつもみたいに岳人のことを思いやる余裕なんてとっくになくなってるから
今、話をしたら、きっと岳人に嫉妬まみれのひどいことを言うか最悪の場合泣いてしまう。
だから帰って欲しいのに…


ドスドスと乱暴に歩いてくる気配のあと、ボスンとベットが大きくきしんだ。

突然体が大きく揺れた驚きに、わっと声が出てしまうほどびっくりして
その反動で上体を起こそうとしたけど…できなかった。


しっかりと私の体は抱き締められていて、見慣れたあの制服のシャツに顔を押し付けてる。
普段ほとんどこういう接触をしてこない岳人だから、そのまま思わず体が固まってしまう。
二人してベットに寝転んだ体勢で抱き合ってるこの状態。


こんな時なのにドキドキしてしまって…やっぱり岳人のことが好きなんだと自分でわかる。
でも、それに流されちゃ駄目なんだ。


「…岳人。離してよ」
「いやだっつってんだろ。…お前、最近様子おかしいぜ。
  …お、俺のこと嫌いになったんなら、はっきり言えよ。そしたら離してやる」

違う。でも言えない。
そう思って岳人から体を離そうと腕に力を込めてみたけど
逆に、私を抱き締める腕が、もっと強い力で私の体を岳人に密着させる。

私とそんなに体格だって変わらないように見えるのに、
こうやって私を拘束する岳人は、完全に男の人の力で私に身動きさせてくれない。

ずるいったら。不意打ちで、いつも私をドキドキさせて岳人は本当にずるい。


「何とか言えよ、
「…嫌い」
「…え?」
「岳人のこと、嫌いになった。だから…もう離して」

私が岳人にぶつけた言葉だったけど、絶対に私の方が傷ついた。
冗談でも言いたくない言葉を言わせる岳人が私を傷つける。
大好きだから、こんなに嫉妬でいっぱいの私なんて見せたくないのに…一緒に居ると苦しくてたまらない。

もう私を抱き締める腕を解いて、帰ってくれていいよ。
岳人の方だって『嫌い』とまで言われて平気だとは思えない。



「やだ、離さねえ」

岳人は、ギリギリの怒ったような声で言葉を続けた。

「き、嫌いって…嫌いになった理由。それくらいあんだろ。そこまで教えてくれねえと、離さない。
  何考えてんだよ。俺が何かしたんなら、ちゃんと言えって…だって」

俺、お前の彼氏だろ?

そう言いながら、私を痛いくらいに強く抱き締めていた腕がそっとゆるんで、
優しく背中が撫でられるのを感じた。

頑なに強張った私の心を、なだめるように何度も撫でる。


…なんか、いつかもこんなことあったような気がする。
あの時は、私が岳人の髪を撫でたんだった…。
岳人が怒って、酔いつぶれて、その後仲直りして付き合うようになったんだっけ。
怒った岳人の理由が、焼きもちと意地っ張りの裏返しだって気付いたら
すごく愛しくなって、思わず抱き締めてしまったんだった。

それを思い出すと、今は、私の方が単に意地を張りすぎてるとも思えてくる。

抱き締められて、こうやって体からなだめられてるうちに
どうして心までこんなに落ち着いてきてしまうんだろう。 あの時の岳人もこうだったのかもしれない。




「…もしかして、梨乃のことか?」

ポツリと、岳人が呟いて、自分を取り繕いきれなかった。


抱き締められてる間に安心して、いつものガードをかけきれなかったせいで
岳人の口から『梨乃』っていう言葉が出ただけで、今まで我慢してきた分の涙が一気に溢れ出す。

こんな時に他の女の子の名前なんか言わないでほしい。
私だけの名前を呼んでよ。


シャツにしがみつくようにして泣き続ける私の背中を、岳人はしばらくさすり続けていた。






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