新月の日に 7




誰かが、こっちに歩いてくる音がする。
カツン、カツンと規則的な音で…ヒールを鳴らす足音で目が覚めた。


ポケットから携帯を出して時間を見たら、もう夜中の1時。
眠たくねえと思ってたけど…さすがにそりゃ俺だって寝ちまうよな。

それにしたっての奴、明日がいくら日曜だからってこんな時間まで帰ってこないなんて
夜遊びもそこそこにしとかねえと危ない目にあうんだぞ。

今日帰ってきたらきちんと言わなきゃ…

と、ハイヒールの音が、どんどん近づいてくる。


の家の、隣に住んでる奴かな?

そう思って顔を向けた俺の手から、携帯電話が滑り落ちる。
相手も、俺がいることに驚いてか、抱えていた花束を落した。



だけど、こんなは、じゃない。俺の全然知らない女。


しばらく二人とも黙っていたけど、俺よりもが先に動いた。
軽くかがんで、落した花束を拾い上げると、そのままゆっくり歩いてくる。
一歩近づく度にカツン、カツンと音がして…この時になって、違和感に気が付いた。

がこんなハイヒールを履いているのは、俺が見る限り初めてなんだ。

俺が、ヒールは踵が鳴る音がうるさいから嫌いだって言った時、
「お洒落とは思うけど、足が疲れるから私もヒールの靴は好きじゃない」って言ってたのに
どうして、そんな大人みたいな靴履いてんだよ。

服だって、いつもカジュアルな格好しか俺は見たことねえのに…
俺のことをお子様だと、見下しかねないような雰囲気を感じてしまう。

ほんとに、こいつだよな?



呆然としてに見入っていたけど、もう目の前まで来てしまったから
なんとかゆっくりと立ち上がる。

…ほんとに、か?

格好だけじゃなくて、俺が初めて見る、こんな強張った顔の
まるで知らない奴でも見るみたいに俺に冷たい視線を向ける。

「…どいてくれる?中に入れない」
…俺、その…話を。少しでいい、から…」

情けねえ。

最後まで言い終われないうちに、気まずくて言葉が途切れてしまう。

もともとうまく喋れる方じゃないけど、はいつも俺が何を言いたいのかすぐにわかってくれてた。
だから今だって、多分わかってくれてるはず…だと思う。


少しでいいからとちゃんと話がしたい。だから俺を部屋にあげてほしい。


頭の中では言えるのに、どうして言葉にならねえんだ?
こんな時、やっぱり俺はガキだと思い知る。
場数も踏んでなければ予備知識も持ってねえ。

泣きたい気持ちでを見つめることしかできないなんて。


は、そっと俺から視線を外すと、花束を左手に抱え直した。

「…早く寝たいから、すぐに終わらせてね。もう…本当に疲れてるの」
「あ、あぁ…わりぃ」

溜息をつきながら、はキラキラ光るビーズで彩られた小作りのバックの中から
部屋の鍵を取り出すと、カチリと鍵を回してドアを開けた。

「…どうぞ」
「あ、サンキュ」

促されるまま、より先に玄関に足を踏み入れて、ゾッとする。

真っ暗じゃねえか。

そりゃ、家の主であるが外出してたんだから
部屋ん中の電気が全部消えてて当たり前なのくらいわかってる。

でも…いつも俺が来たときは、明るい光が灯ってるだけじゃなくて
が『岳人、いらっしゃい!』って、必ず笑って出迎えてくれて
奥の部屋からは料理のいい匂いと、かすかに音楽が流れてて…。

今のが別人みたいなら、この部屋も別の部屋みたいだ。

ていうか…真っ暗で物音一つしなくて、俺を寄せ付けない空気は今のそのまんま。
これまで俺を優しく照らしてくれていた光一つ見当たらない。俺を暗闇の中に置き去りにしていく。
やめろよ、そんなバカみたいな想像させんのは。さっさと消えちまえって!


「…あがらないの?」

パチン、と電気が付けられて、ハッと我に返った。
 
 

慌てて靴を脱いで上がって、そのまま奥の部屋へ向かおうとすると
は「服だけ先に着替えるから」と行って、寝室に入ってしまった。

俺の後ろで、パタンと、寝室のドアが閉められる。


なんか…話なんてできないような気がしてきた。
だって、だから安心して何でも話せてたのに、今のじゃない。

どうしたらいいんだよ。まさか、今から侑士に電話して相談なんかできるわけねえし。
そもそも、なんでこんなことになっちまったんだ?いつから、の様子はおかしかった?

どうして俺はそれに気付かなかった?

居間のソファに腰を下ろして、必死で考える。
しんと静まり返った部屋には、コチコチと秒を刻む時計の音しか響かない。



あーもう!わかんねえよ!わかるわけないだろ!
だいたい、わかんねえから、話そうと思って待ってたんだ。なのには、あんな風だし…
俺はに隠してることも、嘘をついた覚えもねえ。だからますます、わかんねえ。


パニックになりかけた頭を振って、ふと部屋の時計を見上げた時に
が寝室からまだ戻ってこないことに気付いた。

服だけ着替えるって言ってたけど…それにしたって時間がかかりすぎ。
もう15分は経ってるし。


…俺と話をしたくないから、だから居間に来ないってことなら
このまま俺は、大人しく帰ったほうがいいんだろう。
がまた明日から、いつもどおりにしてくれるんなら、そりゃ帰ったほうがいいよな…

一瞬、そんな気弱な考えが頭をよぎる。

でも…

ダメだ、ダメだ!ぜってーそんな負け犬みたいな真似はしない。
俺はの彼氏だ。バカでも年下でもガキでも、の彼氏だ。
からはっきり「嫌いだ」って言われる前に、尻尾巻いて逃げたりなんかするもんか。
明日の可能性に期待して、今日を諦めるなんて、全然俺らしくない。


テニスバックをソファの傍に置いて、ゆっくりと、居間を出る。


寝室の扉は閉じられていて、ノックをしても返事は無い。


…。入るぞ」


俺は絶対逃げない。だからどんなことでもいい。
が何を考えてるのか、それを教えて欲しい。





back   next
















inserted by FC2 system