新月の日に 5


 
 


先週、初めて梨乃ちゃんと会った時に予想はしていたことだけど
岳人は何だかんだ言いながら、どんどん梨乃ちゃんと仲良くなっているみたいだ。

私と一緒にいる時に梨乃ちゃんから岳人の携帯に電話がかかってくることもあるし、
ほとんど専属マネージャーみたいにして練習中もつきっきりとか。
岳人と話していても、梨乃ちゃんの話題が岳人の口から出ないことはない。

でも、冗談めかしてさえ岳人に「梨乃ちゃんのこと好きなの?」とはきけなくて
私はいつも顔が引きつらないように気をつけるばっかりだ。
その口から、私以外の女の子の名前なんて聞きたくない。
自分でも持て余すほどの独占欲が苦しくて、岳人と話をすることさえ苦痛に感じてしまう。


付き合い始めたころは、想いが通じて嬉しいことしかなかったのに
それが裏を返して、苦しさへと姿を変えていく。
まるで、月のようだ。
どんどん想いが満ちていって、これ以上ないくらいに幸せだと充足感に浸っていたら
気が付かないうちに、少しずつ端から欠けていって。
どんどん醜い黒の感情に塗りつぶされて…私は新月になってしまう。

そうなったら、どうしたらいい?
真っ黒な気持ちでいっぱいになってしまったら、二度と元に戻れない気がする。




この前、例の高校時代付き合っていた人から久しぶりに電話があって
自分ひとりじゃ抱えきれない岳人との不安を、つい相談してしまった。
年下の彼氏っていうことをさんざんからかわれたけど、最後に一瞬だけ真剣な声で彼はこう言った。

   『…お前さ。言いたくないけど、年上彼女は引き際が肝心だと思うぜ。』

話ならいつでもきくから、と言い添えて、その電話は優しく終わった。


わかっていたことだけど、改めて言われるときつい。
引き際なんて考えたくないけど、でも、考えておかなくちゃいけないことだ。
岳人のことを信じる・信じないの問題じゃない。人の気持ちが動くのは仕方がないことだし
そうなった時に醜態をさらさないようにするのは、何より私のプライドのためだ。

年上の女が、プライドを捨てたらおしまいだと思う。







今日は土曜日。
いつものように岳人は部活の後そのまま私の家に来る…はずだった、けど。

つい5分前に電話で『梨乃も来たいってきかねえんだ。一緒に連れていってもいいか?』と言われて、
何かが私の中で切れた。

ものわかりのいい振りも、さすがにそれは限界。受話器を握る手が震えているような気さえした。
でも岳人にその怒りをぶつけることだけはしたくないから、
最近の電話の時と同じように、できるだけ明るい口調で断りの理由を喉の奥から搾り出す。

 『ごめん岳人。今日、これから出かけなくちゃいけないの。…急でごめん。』
 『そっか。そんじゃ梨乃には俺から断っとくし、悪かったな。
  じゃあさ、その用事の後、何時くらいに帰ってくる?遅くなってもいいから、ちょっとでいいから俺…』
 『わからない、久しぶりに会う友達との約束なの。じゃあ急ぐから、またね。』

岳人の返事も聞かずに、そのまま通話を切った。

もちろん出かける用事も、人と会う約束もなかった。でも、今は岳人の顔を見れる状態じゃない。

私なんて簡単に蹴落とせると宣言するかのように、アタックし続ける梨乃ちゃんにも
その梨乃ちゃんのモーションにも気付かないで押されっぱなしの岳人にも
余裕なふりをして嫉妬だらけの自分にも
とにかく腹が立って、胸が焼けただれていくような気がする。

誰かに、この気持ちを静めてほしい。
岳人の顔をまっすぐ見れるように、この真っ黒な嫉妬をかき消してほしい。


誰かに思ってることを吐露したい。

ふと、『話ならいつでも聞いてやるから』と言った彼が頭に浮かんだ。
不本意だけど…一応付き合っていたよしみで、話相手になってもらおう。
きっと自分ひとりで考えてるから、こうやって暗くなってしまうんだ。


古い電話帳を引っ張り出して、忘れかけていた番号へとかけたコールは無事繋がって
運良く彼の方も今夜は予定がないとのことだった。

 『どうせ、例の年下彼氏の話だろ?喧嘩でもしたのか?』
「喧嘩じゃないけど…。ちょっと」
 『わかったわかった。俺、来月の彼女の誕生日のプレゼントで迷ってたんだ。
  お前の話聞く代わりに、その相談にでも乗ってもらおうかな。』
「了解、私の悪趣味でよければね」

懐かしい軽口に、ちょっと気分が明るくなる。
大人の男になったんなら、しっかり美味しいお酒でも飲ませてもらうよ、なんて言いながら笑いあう。
最近、彼が会社の人行って美味しかったレストランへ食事に行くことで
話がまとまって、迎えにきてもらう場所と時間の設定をしてから電話を切った。



岳人に対して、後ろめたい気持ちがないって言ったら…さすがにそれは嘘になる。
でも、私も彼もお互い恋人がいるし、何より特別な感情は持ってないから
岳人を好きな梨乃ちゃんと岳人が一緒にいるのとはわけがちがう。

何より私は、第三者を私と岳人の間に入れようとしたことなんて一度もない。
なのに岳人は…

今まで自覚なかったけど、私って意外と粘着質らしい。なんか、自己嫌悪。



いけない、また暗くなりかけてる。
私の最寄の駅まで迎えにきてもらうまで、まだ時間があることを壁にかかった時計で確認した。

こんな時こそ思いっきりドレスアップして、気分を一新するのが懸命だ。
そう思って、手持ちのアクセサリーやらマニキュアやら全てテーブルに並べて、
油断するとどんどん沈み込みそうな自分を励ます。

普段じゃ考えられない気合の入れ方で、私は岳人以外の人のための身支度に没頭し始めた。




いい香りの香水より、まだ石鹸の残り香が一番心地いい時期だってある。
嫌がられるかもしれないと、岳人と出会ってからはドレッサーの奥にしまいこんでいたその香水を
久しぶりにひとふりすると、岳人なしでも楽しくやれていた自分に戻ったような…

そうよ…そんな時もあったんだ。昔のことのようで、ほんのつい最近までの自分。


玄関に鍵をかける時、カチャリと確かに鍵の閉まった音がして、
岳人への嫉妬、後ろめたさ、そんなモヤモヤした気持ちも閉じ込めた。

待ち合わせの場所へ向かって、寒々しい心のまま歩き出す。






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