新月の日に 4



いつもの週末の、氷帝テニスコート。
もう岳人に何度目かの、お弁当の差し入れだ。
私らしくもなくこの前の電話では気分が沈んで、でもそれを気取られたくなくて
早めに切ってしまったせいで、今回は無難なサンドイッチくらいしか作れなかった。

こころなしか、いつもより足が重い。
だって「梨乃の面倒みてくれ」だなんて、そんなの不快に思わない女はいない。
岳人のことだから、純粋に妹みたいに思って可愛がってるつもりなんだろう。
妹みたいに…か。
私がどうあがいても、絶対になれない位置。
その位置にすんなり収まってしまえる女の子は、一体どんな子なんだろう?





、こいつがこの前電話で話した梨乃。おい、挨拶しろって」
「初めまして!梨乃です」
「あ、初めまして。といいます。…えっと、1年生?」
「はい!入学してからずーっとがっくん先輩一筋の大ファンなんです!
  だから彼女さんにも会わせてほしいって梨乃が無理矢理頼んじゃって…」

そう言いながら岳人にぴったりくっついて離れない彼女の体は
岳人より一回りも小さくて、華奢で、お人形さんみたい。 
喋るたびに周りに華が散るようで、同性の私から見ても可愛いと思う。

「でもがっくん先輩、いっつも最後には梨乃のお願いきいてくれるもん。えへへ、嬉しいな」
「お前が強引だからだろ。ったく、を見習えよな。
  お前と違ってぜってーそんな俺を困らせること言ったりしねえぜ。な?」

梨乃ちゃんの柔らかく風に揺れる茶色の髪を、軽く人差し指ではじきながら
岳人は私に同意を求めて話を振ってきた。
梨乃ちゃんは岳人にそうされることに慣れてるのか、嬉しそうに笑ってますます岳人に身を寄せる。

「…そうかな。……あんまり自分じゃ、わからないけど」
「えー?じゃあ梨乃もわがまま言うのもうやめますー!」
「はいはい。わかったからくっつくなって!邪魔だっつってんだろ、くそくそ」
「やーん、出た。がっくん先輩の口癖、『くそくそ』だってー」
「うるせーよ、くそ…ああもう!」

岳人は困った顔をしながらも、その梨乃ちゃんって子の手を振り払おうとは絶対しない。

氷帝のあの可愛らしい制服を着た梨乃ちゃんと、氷帝ユニフォームに身を包む岳人。
通りすがりに見かけたなら、思わず微笑ましく見守りたくなるような爽やかな学生同士の恋愛を
この二人の立ち姿は連想させる。

それに比べて私…泣きたくなるほど、部外者だ。

そりゃあ部外者なのは最初からだけど、それでも今までは岳人が私の側にいた。
岳人が全身で、私が練習を見に来るのを待っていてくれるって思えたから
氷帝の女の子達からそれこそ氷のような視線を向けられても平気だったのに。
今はもう違う。

岳人は向こう側にいる。
梨乃ちゃんと二人で一緒に、私とは反対側に立っている。

岳人、こっちに戻ってきてよ。その子から離れて、私の方に戻ってきて。

何度も頭をかけめぐるそんな言葉も、喉元で止まってしまった。
そんなこと言っても馬鹿をみるのは自分だってわかってるから…ううん、違う。
岳人に呆れられるのが怖くて、それさえできずにこうやって突っ立ったままでいる。
岳人と梨乃ちゃんの会話なんて聞きたくないのに、耳を塞ぐことも目をつむることもできない。

岳人と私の間に、たった一人入ってきただけで
こんなにも動揺してるなんて、本当、恋愛は惚れた方が負けってその通り。
好きじゃなかったら、こんなに苦しくならないで済むのにと自分を恨めしく思った。


きっと…岳人は気付いてないんだろう。

岳人と梨乃ちゃんは兄妹みたいな仲の良さに見えるかもしれないけど
少し注意してみたらすぐにわかる。
梨乃ちゃんは、岳人に本気で恋をしてるって。
言葉の端々に、絶対に岳人を諦めないと挑戦的な響きを感じる。
岳人が私に話しかける時、彼女の視線は険しくなる。

他愛ない雑談を三人で交わしながら、どんどん気分が落ち込んでいくのを
感じ出した頃、梨乃ちゃんが思い出したように、あっと声をあげた。


「がっくん先輩!梨乃、がっくん先輩と彼女さんに食べてもらおうと思って
  納豆巻き作ってきたんですよ!今からお昼だし、食べましょう!」
「おー!納豆巻きかよ!梨乃にしては気が利いてんじゃん。
  食おうぜ食おうぜ…って、あ。、納豆嫌いだったよな?」

岳人はしばらく、梨乃ちゃんの差し出した納豆巻きの入ったバスケットを
物欲しそうに眺めていたけど、ぐいっと顔を背けた。
きっと食べたくてたまらないはず。
午前中いっぱい試合をした後だし、岳人は納豆が大好きだし。

そっと私の方を窺うように見て、岳人はバスケットを押し返した。

「わりい、梨乃。が納豆嫌いなのに俺達だけで食うわけにいかねえし、それにが弁当…」
「いいよ、食べなよ岳人」

自分で言おうと意識しないでも、そこから先はすんなりと言葉が出てきた。

「私、実は今日これから用事入ってるの。
  朝もバタバタしててお弁当も作って来れなかったんだよね。
  …だから、納豆巻き食べて午後からも試合頑張っておいで。ね?」

口調は明るく、口角を意識して頬を持ち上げて、できるだけ自然に微笑む。
あえて視線は岳人から外さないで、最後まで一気に言い切った。

「岳人は納豆大好きなんだから、きっとそれ食べたら午後も試合バッチリだよ。
  私も岳人が試合で活躍してくれるのが一番嬉しいし、遠慮しないでいいから。
  ほら、梨乃ちゃんと一緒に食べてきて」
「いいんですかぁ!?やったー、さすががっくん先輩の彼女さんだ。優しい!」
「…は、それでいいのか?」

ラケットを握ったその左腕を、梨乃ちゃんに抱きつかれたままの状態で、
岳人は疑わしげな目を私に向けた。

それでいいわけなんかない。
でも、いいって言うしかない状況だってある。
そんなことまでわかれっていうのは、岳人にはまだ酷なことだろう。

言葉の裏なんか探らない岳人だから、私は好きになったんだ。
都合の良いときだけ「察して欲しい」なんて言いたくない。


「…いいよ。時間が間に合いそうにないから行く。またね、岳人、梨乃ちゃん」


岳人達に背を向けて、もう振り返らずに校門を目指した。
歩きだす度に、その一歩が心を揺らして奥のほうから圧迫されるような痛みに変わる。

まだ、まだ駄目。まだ泣いたら駄目だ。

そう自分に言い聞かせながらコートから校門を抜けて、大通りまで出た途端に
ぽたっと涙がこぼれた。
最初から自分が不利な立場にある恋だってわかってたけど、それでもやっぱり辛い。
年齢も一緒に過ごす時間も、私は梨乃ちゃんに敵わないのに
彼女だっていうだけで安心なんてできるわけない。


これ以上涙が出ないよう、そのまま両手を目に強く押し当てて、
しばらくその場から動けなかった。






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