新月の日に  2



「お疲れ様でした。ミルクティーだけど、いい?」
「おう、サンキュ」

ソファに並んで腰掛ける。
岳人のおかげで、15分もせずにパソコンは正常作動するようになった。

「ありがとね、岳人。本当に助かった」
「こんくらい任せとけって。うち電気屋だから、俺たいがいの機械には強いぜ」

ミルクティーを飲みながら、岳人は得意顔だ。
頼りになるんだけど、こういうところは子供っぽくて可愛い。
本人に言ったら怒るだろうから、言わないけどね。

「んー…、やっぱが入れた紅茶、うまいな」
「ありがとう。今日は蜂蜜を入れたから、いつもより味が優しく感じるのかもね」
「蜂蜜?なんで砂糖じゃないんだ?」

なんでって訊かれても、そう深い意味があってのことじゃない。
乾燥しやすい今の季節、私は寝る前に蜂蜜をリップ代わりに塗っていて
今夜も例の事件が起こる前に、唇に塗って寝るつもりで瓶だけ出していた。
さっき岳人に紅茶を入れている時、出しっぱなしにしていたその瓶が目に入ったから
砂糖よりも体に良いという理由も手伝って、岳人の紅茶に使ってみたというわけだ。

ついでに、その時いつものように唇にも塗っておいた。

そのことを説明すると、岳人は「へーっ」と感心した声を出す。
しばらくは大人しく紅茶を飲んでいたけど、
ふと何か気が付いたらしい岳人はカップをテーブルに置いた。

「…蜂蜜って、ほんとにリップ代わりになんのかよ」
「うん。男の子は興味ないから知らないかも知れないけど
  市販のリップにも蜂蜜入りって結構沢山あるんだよ、本当に」

岳人は、体ごと私の方を向くように座りなおす。
そんなに蜂蜜がリップになるっていうのに驚いたのか、怖いくらい真剣な顔で、私の口元を見つめてる。

「じゃあ、が今唇に塗ってるのも蜂蜜なんだよな」
「そうだってば。…普通の食用の蜂蜜」
「本当に?」

ジリジリと岳人の顔が近づいてきて、両肩に手をかけられる。
もう目の前に、岳人の大きな一重の瞳だ。

「蜂蜜かどうか…確かめてもいいか?」 
「…うん」

そっと肩を引き寄せられて、岳人の赤い舌がペロっと私の下唇を舐め取った。

一瞬のことだったのに、胸が壊れそうな勢いで脈をうつ。


「…甘い。本当に蜂蜜だ」
「でしょ。…本当に蜂蜜」
「あ、でも。……一回くらいじゃ、ちょっとわかんねえ」

そのまま頭の後ろに手をまわされて、今度は正真正銘のキスだった。

軽く触れ合った唇を一旦離して、岳人は私の唇に塗られた蜂蜜を食べつくすように
何度も何度も角度を変えて深く口付ける。

岳人の薄い唇は、ミルクティーの味がして、しっとりと湿っていた。





「…

どれくらいキスをしていたか、岳人が唇を離して私の上半身を抱き寄せる。

「今夜、呼んでくれてありがとな」
「ううん、こんな時間に呼びつけて悪かった」
「いや、よかった。…に初めて、キスできたし。
  それに…土曜まで会えないと思って、俺、本当は淋しかった」

ほんとだぜ、と最後に溜息を共に呟いて、岳人が抱き締める腕を少し強めてくれた。  
ああ、私、今ものすごく幸せだ。
岳人にこうやって抱き締められたまま、離れられなくなればいいのに。





「あ、いけね」

唐突に、岳人が声をあげた。

「プレステの電源入れっぱなしだった…見つかったらセーブもしてねえのに勝手に切られる。
  くそくそ、せっかく良い雰囲気になれたってのに!」

岳人があんまり切実に残念がるのがおかしくて、つい笑ってしまう。
でも危なかった。
岳人が言わなかったら、私はいつまでも岳人を帰すことができなかった。

「引き止めてごめん。岳人の帰りも心配だから今日はもう帰りなよ。パソコンも治ったし。ね?」
「ちくしょう…マジでまだ帰りたくねえのになー」


渋々帰り支度をする岳人を、なんとか玄関まで送り出した。
左右違いのサンダルをつっかけて、岳人はまた膨れっ面だ。

「じゃあ、またなんかバグったら俺を呼べよ!」
「うん。今日はありがとう。ほら、早くしないとゲームデータ消されちゃうかもよ?」
「うるせー。帰るけど…修理代、まだもらってねえし」

修理代?
私が面食らっていると、岳人は黙って自分の膨れた頬を指差した。
むすっとした顔のまま、頬へのキスをねだってくる。
こうやって岳人がぶっきらぼうに甘えてきてくれる瞬間が、大好きだ。
こんな修理代を払えるんだったら、何度だってウィルスにかかってしまいたい。

そう思いながら、岳人の頬に唇を寄せた。私から初めて、岳人にしたキスだ。



さっきあんなに深いキスをしておきながら、
岳人は私のキスに顔を真っ赤にすると「また土曜な!」と叫ぶように言い残して帰っていった。


私の方こそ土曜まで会えないのが淋しかった。

来てくれて、本当にありがとう、岳人。




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