対飼いになりたい / 青の鳥 09





灯りも消したベットの中で、景吾は私を抱き締めながら低い声で言った。
 
「…話せよ」

本当に話してもいいのかな。
今までずっと隠すどころか、ただでさえ勘の良い景吾に気取られさえしなかったのに
あの時と同じ状況に立ったことに度を失ったせいで、逃げ場を自分でなくしてしまった。
毛布の中で景吾の胸に顔を押し付けて、手をあてていたパジャマの布を思いっきり握り締める。


「……景吾、私たちが二人で飼ってた猫を覚えてる?」
「ああ」


景吾の部屋で、猫を飼ってもらっていた時期がある。

学校でこっそり世話をしていた猫が子供を生んで、なのに生まれた子猫を置いたまま
肝心の親猫がいなくなってしまったから、私はその子猫をうちに連れて帰った。
お母さんは大の猫嫌いだったので、景吾の部屋で飼ってくれないかと頼んでみたら
景吾は少しの間私をじっと見つめた後に、首を縦に振ってくれた。


「………そういや、あの猫どこ行っちまったんだろうな」
「覚えてないの?」

景吾は、あの猫がいついなくなったのか、その時期も理由もはっきりと思い出せないと言う。
その返事に、やっぱり景吾にとってはその程度の、何でもない出来事と言葉だったんだと思い知らされて
今でも私の胸は針を刺されたような痛みを感じる。


「本当に……すごく可愛い猫だった。景吾も、可愛がってくれてたよ」
「……へえ」
「でも」

ある日突然、景吾はあの猫を捨てた。








学校から帰って景吾の部屋へ行っても猫の姿が見えない。
家の中はもちろん、もしかしたら庭へ出てしまったのかと思って、あの広い敷地全てを探してまわったのに
どうしても見つからないので、私は夕飯も食べずに景吾の部屋で途方に暮れていた。

そうして、夜になってその日の習い事を終えた景吾が部屋に戻ってきた時
確か私は、猫がいなくなってしまったと文字通り景吾に泣きついた。
あの時の景吾は、もう私と同じくらいか少し高いくらいの背になっていたと思う。
今まで見たこともない不機嫌な視線で見下ろされて、たった一言『捨てた』と景吾は言い放った。


『……保健所にブチ込まなかっただけでも感謝しろ』


あの猫を景吾が捨てた。私が連れてきた猫なのに、そういうことを平気でしてしまう。

確かに景吾の部屋で飼ってもらって面倒をかけていたから、その猫をどうされようが文句は言えない。
でも、景吾にとって私だけは特別な存在のつもりだった。
景吾が本心では猫を飼うことに乗り気じゃなくても、私が飼いたいと言うから許してくれたんだと思ってた。
私の大事にしてるものを、景吾が勝手に捨てたなんて信じられない。

きっと何か理由がある。 
そう思って、あの猫が何かしたのかと尋ねると、顎でベットの方を示された。

景吾があの猫を捨てた理由は、景吾のベットを汚したからだった。

そんなことで捨ててしまったなんて、私は思わず景吾の顔を見つめたまま絶句した。
景吾は胸の前で腕組みをしてそっぽを向くと、溜息をついた後に視線だけ睨むように私に戻す。

『…猫ごときに我が物顔で部屋ん中をウロつかれんのは、もううんざりなんだよ。挙句、シーツに血なんかつけやがって』
『ごめん』
が謝ることじゃねえだろ。悪いのはあの猫だ』
『違う。私が悪かった。ごめんね、景吾』

猫や犬は1年で大人になる。あの猫は飼いだしてもうすぐ1年になろうとしていたから、
そういう時期が近いのはわかってた。なのに、何もしなかった私の配慮が足りなさすぎた。

あの猫は悪くない。だから、もう一度景吾の部屋へ連れ戻してほしいと思った。

『もうそんなことさせないって約束する。だから…帰ってこさせてあげて。お願い』
『…嫌だ』
『お願い。私にとってはただの猫じゃない、妹みたいに大事な猫だから。景吾と同じくらい大事なの。だからあの子を許して。大好きな猫だから…離れたくない』
『黙れよ!』

言葉の最後を言い切る前、一瞬で頬に熱が走った。
反射的に手で押さえる。火傷でもしたように熱くて痛い。

それが景吾に平手で叩かれたからだとは、しばらくの間信じられなかった。

『景吾…』
『もう二度と、つまんねえ動物連れてくるな。次連れて帰ってきたら、その場で殺す』
『どうして』
『出てけ!あの猫のこと忘れるまでは俺に顔見せるな!!』


そんな風に声を荒げられたのも初めてだった。ほとんど呆然として、私は景吾の部屋を出た。
でも部屋のドアを閉める直前に、せめてこれだけはと思って景吾に声をかけてみる。

『シーツ、私が洗っておくからね』

あの子が血を垂らしてしまったシーツは、きっと景吾が特別気に入ってるものだったんだろう。
それなら、私が責任を取る意味できちんと洗おうと思った。
でも、景吾は私の方に首だけ振り向かせて、目元がほんの少しも笑ってない笑みを浮かべて言った。

『洗うくらいで落ちる汚れじゃねえよ。シーツは捨てる、ベットも明日入れ替えるよう手配した。あんな血がついたと思うだけで、まだ部屋中が生臭い気がするからな』


その言葉は、猫を突然捨てられた悲しみや、景吾に初めて手をあげられた驚きと一緒に
私の胸に刻みこまれる。 私はまだ生理をむかえていなかったので、完全な恐怖だった。
もし生理になった時、死んでも景吾には知られたくない。
私が同じようにシーツを血で汚したら、きっと景吾は私のことも簡単に捨てるだろう。









部屋の中は暗かったし、私は景吾の胸に顔をうずめていたので
景吾が私の話をどんな顔で聞いていたのかはわからなかった。


「…思い出した?」

景吾は返事をしない。 やっぱり思い出せないのかな。でも昔のことだから仕方ない。
不意に私を抱き締めていた腕に力がこもった。


「…俺のことは捨てたじゃねえか」

低い声で景吾は呟いた。さっきよりも強い力を込めて抱き締められる。

「俺を捨ててあの女と家を出たのは、お前の方だろ。…仕返しだったのか、猫の」
「違う、景吾から捨てられるのが怖かっただけ」

いつか捨てられるかもしれない予感を抱えながら、景吾の傍にいるのは辛かった。
最初から嫌われているか、私にとっても嫌いな相手なら捨てられても平気だけど
景吾はそのどちらでもない。 
生まれた時から私には他の誰よりも懐いてくれて、私にとっても誰より大事な存在だ。

「ずっと前からお母さんには、家を出ようって言われてた。だからいつかは出るつもりだったんだけど、私が景吾と離れたくないからずっと先延ばしにしてもらってただけで……あの時はごめん。お母さんと二人で家を出たら、景吾が辛くなるのはわかってた。でも、あの猫みたいに景吾から嫌われて、捨てられるよりはずっと良いと思ったから」

だから猫が捨てられてから1ヶ月後、深く眠り込む景吾の唇にキスをして、この家を出た。


「……随分勝手な理由だな。結局、俺より自分を守りやがって」
「景吾にどうしても、私を好きなままでいてほしくかった」
「…そんな言葉くらいで、俺が許すと思ってんのか」
「許さないのは私のことを好きだからでしょう。……許されない方が安心できるし、嬉しい」


とても自分勝手な考えで景吾の気持ちを繋ぎとめている私を、景吾は嫌うだろうか。

背中にまわっていた手がゆっくりと離れて、手探りで私の頬にあてられた。

「死ぬまで許すつもりはねえよ」
「……ありがとう」
「叩いたことも謝らねえ。俺以外のものに執着した、お前が悪い」
「……そういう意味だったの」
「ったく、今頃かよ。があの猫を連れてきた時から、ずっと俺は気に入らなかった」


勘違いをしていたらしい。 
景吾の気持ちをわかっていたつもりで、全然わかっていなかった。 
それに私がたった今初めて思い当たったと、景吾にも伝わったようだ。


「俺の傍にいていいのは、だけ」

だから私が傍にいていい人も景吾だけ。 だからあの猫はいらなかった。
私が汚したシーツなら、景吾はその手で洗うことすらしてくれる。


「……今夜は私がするわ」
「何が?」
「夜の散歩の続き」
「外はもういいだろ。……寝ろよ」
「景吾は先に眠っていいから。私が何をしても起きないくらい、深く眠ってね」


一瞬息を呑む気配の後、景吾は優しい声で了承の返事をしてくれた。






でも結果的に、景吾は私の言うことを守らない。

私が景吾のボタンを外し始めると、同時に景吾も、いつものように私のボタンを外していって
私が景吾の肌に唇を寄せる度、その箇所と同じ私の体の部分に景吾からもキスをする。

素肌が触れ合うせいで二人とも息があがっていたけど、幸せだった。


最後に、これ以上無いくらい唇のキスをしあって、私は景吾が弟ではなく男の人なんだと実感する。





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