対飼いになりたい / 青の鳥 05




昔は丁度良かったのに、とは小さな声で呟く。
その『昔』がどれくらい昔なのか……はわかっているようで実のところ全然わかってねえ。
俺はいつまでも小さいガキのまんまじゃねえし、にしてもそれは同じだってのに。

傍で見ていくほどに胸が高鳴ってしまうくらい女としても俺を惹きつける。
そのことを自覚してしまうと、今までどんな女に対しても感じなかった戸惑いを覚えた。

「とにかく肩枕は諦めろ」
「…じゃあ、他のところなら平気よね」

そう言うとは上半身を傾けて、ソファに腰掛ける俺の脚の上に頭をのせた。片手を俺の膝頭に添えるように置くと目までつむってしまってしまう。年がいもなくガキじみたの行動に、肩から余計な力が抜けた。

さっき肩枕し損ねた分を、今度は俺の膝枕で取り戻すつもりか。
でもそんな風に素直に甘えてこられると、ついからかってみたくなる。
そうして俺は、それを堪えきれるほどには大人じゃない。

「おい」
「なあに?」
「……ずいぶんらしくねえ真似だな。この2週間、そんなに淋しかったかよ」

そう言いながらの髪を一房軽く引っ張った。
昼間は学校と部活、家に帰ってからは必要な書面の作成に追われっぱなしだったこの2週間、
せっかく俺のところにが戻ってきたっていうのにほとんど一緒の時間は過ごせなかった。
でもその間の淋しさに心を痛めていたのは、じゃなくて間違いなく俺の方。
俺から甘えるような真似をして、頼りがいなく見られるのは嫌だった。
その反面、に飢える俺を満たしてほしい。

そうやってどんどん矛盾していく俺の気持ちを、は上手に癒してくれる。


「私は淋しかったわけじゃないけど。膝枕されてあげようなあって思って」
「…理由もお聞かせ願えますか、お姉様」
「そんなふうに茶化すなら教えない」
「おいおい、随分強気な態度じゃねえの?」

少し上半身を前に倒して、上からの顔を覗き込む。
頭を近づけた俺と目があうと、は柔らかい声で俺の名前を呼んだ。

「景吾」
「…淋しかったんだろ、どうせ」
「昔は私がよく、こうしてあげてたのを覚えてる?」
「…さあ」

ちゃんと覚えてるに決まってんだろ。だからお前のことを誰よりも愛しいと思うし
こうして身を寄せられると切なさに似た思いで安心する。

「小さい頃は景吾、本当に甘えるの好きだった。…今は真逆になっちゃったけど」
「ばーか。いつまでもガキのまんまでいられるか」

俺の腿からソファへ流れる髪に、指を通した。溜息をつきながら、忘れたくても忘れられない毎日を思い出す。毎朝後ろ髪を引かれながら、俺達は別々の学校へ通っていた。

俺は氷帝、は母親なんか希望で地元の公立の学校に通っていた。夜にだけ俺はに会えた。幼かった体を寄せて、俺は一日の出来事を話した。は膝に乗せた俺の髪を優しく撫でながら、俺の話へ充分すぎるくらい丁寧に楽しそうに耳を傾けた。「景吾の話を聴いてると、まるでそこに自分がいて同じ時間を過ごしていたような気持ちになる」といつも言って、俺の頬にキスしてくれた。

だから俺もが学校でどんなことをして過ごしたのか、全て話すよういつでもせがんだ。でもその話を聴けば聴くほど、自分がそこにいなかったことを思い知らされる。途中でいつも遮らずにはいられなかった。泣いてしまうことも多かった。俺の涙をとめるために、はいつもまぶたへもキスをしてくれた。


今も昔も、は俺のいない時間を簡単に補ってしまう。
だから俺と離れていた何年もの間を平気で暮らしてられたし、簡単に淋しくもならない。
どうして俺だけが、のいない時間を補えない。どうしてすぐに淋しさで心が揺れる。
このままだと今も胸にある淋しさに負けて、の柔らかい髪へ口付けてしまうかもしれない。 俺はの涙を見たいわけじゃないんだ。 
誰よりも愛しい鳥を殺すのは、まだ早すぎる。



不自然に見えないようから顔を背けて視線を逃がした。いつのまにか窓の外では雪が降り出している。時期的に考えてこの冬最後の降雪なるだろう。
冬の訪れは次に巡る季節の予告。俺にとって凍えた季節は、もう終わった。
が傍にいるなら、あの冷たい夜は二度と巡ってこない。それなら、今の心細さに俺を傷つけさせてやってもいい。
の何もかもを取り戻したくて、俺の存在しない過去の時間さえ欲しい。


俺の膝を枕にしたまま横になっているに話しかけようとしたら、の方が先に口を開いた。 その瞳は静かに閉じたままでいる。

「氷帝っていう学校のこと教えて。景吾がどんな風に過ごしてたか知りたい」
「ああ。お前のことも…教えろよ」

は体を起こすと、その腕を伸ばして俺を抱き寄せた。
二人ともソファに座ったままだから上半身だけが抱き合う中途半端な体勢だ。なのに、それでもの方に倒れこんだ俺の体は簡単に馴染んで、離れられなくなる。

まわした手には少しだけ力をこめて、抱き込んでいる俺の頭を胸に押し付けた。

「……景吾にとって私は他の人と同じ?」
「なわけねえだろ。馬鹿か」
「それなら…私には大人みたいな気遣いをしなくていい。…強がるようなこと言わないで。本当に、私が景吾と離れてた間のことを聴きたい?少しだけでも平気で聴ける?」 
 
聴けないでしょう、景吾。

そう耳元で囁かれて、頷くのと涙が出たのとどっちが先だったか覚えてない。

が俺に触れてくれる度に感じる愛しさ、それが全てであってほしいと思う。
でも愛しさが募れば、それはと離れて過ごした時間の淋しさに姿を変えてはね返ってくる。
今になっても心細くて涙が出てしまう。情けないにもほどがあるだろう。

口が裂けてもこんな泣き言なんて言いたくないのに、言うような俺じゃないのに
どんどん感情の均衡が崩れていくのが、自分でわかった。


「……聴きたくねえよ」
「うん」
「俺がいないところで、どんな風にしてたかなんて知りたくねえ」
「良かった。私も言いたくない」
「………忘れろ、全部」

涙交じりになった声が喉の奥から甘ったれた言葉をひきずりだして、それをに伝えてしまう。

「……俺と一緒じゃなかった間のことは、全部捨てろ。……必要ねえよ、何もかも」
「うん。景吾に関わることだけを、これからは大事にする」



そうして、『泣き虫の弟が心配だから今夜はここで一緒に寝ていきなさい』と、
が俺に初めて命令したのが、その後の出来事。
ほんの少し涙を見せただけで、昔通りの泣き虫扱いには正直なところ閉口した。
に押し切られる形で、俺はそれを了承した。



それ以降毎晩、の部屋、同じベットの中で俺達は眠りを分け合うことになった。
眠りに落ちる前から、それが醒めた後もなお、抱き締めては抱き締め返される体の温かさは、
夢を現実にしてしまったと思うほど優しい。

でも優しすぎて、その時間に抱かれていると死にたくなる。



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