独りの条件 1 


今日は部活に特別メニューが入って長引いた。
急いでを待たせている教室へ走る。
部活生じゃないを授業後ずっと待たせるんは悪いと思っとるけど、
帰り道だけでも一緒にいたくて、俺のわがままでそうしてもらってる。

本当は、部活中でもをコートのすぐ側に置いておきたかった。
でも、テニスコートは冬は寒いし夏は暑いという最悪の環境。
ただでさえ色素が薄くて体の弱いあいつを長時間置いておくわけにはいかんと思って我慢した。

がそばにおらんのは嫌だが、あいつが寝込むのはもっと嫌だから。



「悪い、遅くなった。真田の奴がいらんメニュー作りよって…」

窓際の席に座って、本を読んでいたが顔を上げる。
いつもは花が咲くような笑顔を向けてくれるのに浮かない顔だった。

「仁王君…」
「どうした、?俺を待っとる間に調子悪くなったんなら…すまんかった。さ、家まで送る」
「違うの。ここ、座って」


なんか心配事でもあるのか強張った様子のに、俺の胸を不安がよぎった。

でも、が悩んどることやったら、どんな手を使ってでも俺が解決してやる。
俺のファンがに嫌がらせしとった時も、ファンクラブの会長とかいう女にきっちり話つけたし、
俺がおるのににちょっかい出す輩には、裏で落とし前つけさせてもらった。

詐欺師なんて呼ばれるようになったのは、なにもテニスだけに限らん。
こういう暗躍をしとるせいの方が大きいんだろうが…それでいい。
のためにできることなら、俺はなんでもやりたいんだ。
自惚れなんかじゃなくが俺のことを大事に思っとるのがわかるし、俺もが誰よりも愛しいから。





の前の席に腰掛けて、上半身だけの方を向いた状態で机に頬杖をつくと
俺の顔を見て小さな溜息をついたあと、は恐る恐るの様子で口を開いた。

「あのね、仁王君。…もう、こうやってテニス部が終わるまで、仁王君を待ってあげられない」

…なんだ、そんなことか。 
確かに教室でも底冷えする季節、がそう言い出すのも無理はない。
冷え性のは今だって膝にブランケットをかけている。

絶対ににはこれが似合うと思って、俺が選んで贈った赤のタータンチェックのブランケット。

『学校で使うには派手すぎて先生に怒られちゃわないかな』とは心配していたけど、
こうるさい生活指導の教師を黙らせる脅しネタくらい、いくらでもあったからな。
には「絶対に大丈夫だから安心して使えばいい」とだけ言っておいた。

俺達はクラスが離れとる。 
でも、『これを膝にかけてると仁王君がそばにいてくれてるみたいで安心するの』と言ってくれる
冬になると、学校内ではどこに行くにもこれを手放さない。
移動教室で俺のクラスの前を横切るが、胸にしっかりそのブランケットを抱えているのを見ると、
まるで俺がに抱かれとるような気がして、目を閉じてそれを想像する。

その瞬間の幸せは、言葉にするのも勿体無い。



「今年は特に寒さがきついからな…うん。気にせんでいい。明日からは部活前に…」
「違うの」

が俺の言葉を遮る。…どうしたんだ?
覗き込んだの瞳は頼りなく揺れていて、まるで涙を堪えているようにみえた。 
問題が何であれ、そんな悲しそうな顔をされると俺の方が苦しくなる。 

は小さく息を吸ってから言葉を続けた。
 

「…別れてほしい。私は、立海の大学部へは進まないから。
  北海道の製菓学校へ願書を出して…来年の春からは、もう仁王君に会えない」

そう言ったの声は震えていて、ブランケットをぎゅっと握り締めとる。

「…。…それって…」
「そ、それに…これからは入校試験の勉強に本腰も入れなきゃいけない。
  仁王君に合わせて会う時間はとれなくなる。…春から気持ちよく新しい生活を始めたいの。
  だから…もう、私とは別れてほしい。仁王君から離れる準備をさせてほしい」

そこまで話し終えてもは、俺から視線をはずさないでいたが…
あまりの驚きに俺は頭が完全にオフになってしまって、反応すら返せない。 

今、何を言った?

大学部へはすすまん。 北海道に行く。 新しい生活。 だから…俺と別れたい?


はこんなことを冗談で言ったりしない。今にも泣きそうな顔をしながらも、俺をまっすぐに見つめてくる。
普段は俺の我侭でも何でも許して受け容れてくれるが、こういう目をしたときは絶対に譲らん。
でも、なんで、どうして…。 が菓子作りが本当に大好きなんは知っとるが、なんで北海道なんて。

どうして俺から離れるなんて。

の本気が伝われば伝わるほど、俺はそれ認めたくなくて、頭の中がグラグしてきた。
ものすごい吐き気を感じて、思わず俺はから顔を逸らしてしまう。

耳が痛くなるような沈黙だ。

机の下に見えるの小作りなローファーの爪先を見つめながら、頭の中をあらゆる憶測が駆け抜ける。
でも吐き気ばかりがますます強まって、いっそこの教室から飛び出してしまい。


「…仁王君?」
「わかった」

ゆっくりと顔をに向け直し、その視線をとらえた。 
仕掛けてきたのはお前から。
俺はそれを易々と受け容れる…ふりをして応えるしかない。

がそう言うなら、俺はそれに従う。気持ちよくを送り出してやりたいって気持ちもあるしな…。
  ただ、そのかわり。…しばらくの間は、俺の言うことに絶対従ってもらう」

カラカラに乾いた喉で、なんとか平静を装った声で言葉を続けた。
を手放すなんて、俺は絶対にしたくないのに。

「いきなりそんなこと言われてびっくりしとるし、本当は認めたくないとこを大人しく認めてやるんだ。
  春から製菓学校行くんも、俺から離れるんも、ちゃんと許して応援してやる。
  だから…今から俺の言うことに当分は従えよ。…いいな?」

は俯いて小さく「うん」と返事をした。
ますますブランケットを強く握り締めて、瞳からは今にも涙が溢れそうになっとる。

俺は無表情を装うだけで精一杯。
吐き気はまだ止まらないし、の涙さえぬぐってやることもできずにいた。















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