(人魚が海を捨てることになるかもしれない時の、陸のお話)
鳥は空からでも宝を見つける 1



連休初日の昼間である。ドラマよりもドラマチックなのである。
なっちゃんと二人でドライブなのである。

最初の予定通り4人での旅行なら、少し大きめのレンタカーでも借りて行こうと思ってた。観月君が、俺の車だと「シートにゆとりが足りない設計ですね」とか「不衛生ですよ」とか言いそうな気がしたし、実際、4人だと少し狭い。

でも、結局はその俺の車で、まさかの車内に2人だけ。
完全に、カップル(そんな言い方は死語かな)の仲良し旅行(観月君はそういう柄ではないけど)のつもりだったのが、いきなり本命勝負になってしまった。



今、助手席に座るなっちゃんが、オーディオにCDをセットした。CDは、なんとなんと、なっちゃんが自分の家から持ってきてくれたのである。
俺との小旅行のために!ではなくて、きっと、自分が聴きたかっただけだろう。案の定、俺が普段聴かないジャンルのものだった。
でも、いいんである。気にしないんである。耳にはちっとも馴染まなくても、今は5倍増しで全然素晴らしいんである。いや、なっちゃんだから7倍増しかな。700倍でもいい。ううーん、でもむしろ、数にするのは勿体無いか。


お気に入りのアルバムみたいで、なっちゃんは窓の外を見ながら、小さい声で歌詞を口ずさむ。さっきから、もうずっと。素晴らしい時間が続いている。
最初は綺麗な人だと思って、それから好きだと思って、食事のデートを(観月君やなっちゃんの後輩の女の子が同席してはいたけれど)重ねるごとに可愛いと感じて、今は愛しい。
綺麗、好き、可愛い、愛しいを全部足して、思いっきり握りしめたら何になるだろう。
簡単ですね。答えは、なっちゃんになります。

「千石君、前見て」
「あ、メンゴ」
「謝るなら、ちゃんと謝って」
「…ごめんなさい」
「よろしい」

横目で俺を見て、なっちゃんはわざと澄ました声で言う。
ああ、からかわれた!嬉しい!
進行方向の信号が黄色に変わったので、俺はゆっくりとブレーキを踏んだ。静かに車が停止する。

「ねえねえ、あのさ」

体を捻って、なっちゃんの方を向く。
なっちゃんはホルダーに手を伸ばして、透明なプラスチックの容器入ったアイスラテを手にとった。ストローに口をつけて一口飲む。

「今日だけ清純って呼んでくんない?」
「呼んでくれない」
「じゃあ、なっちゃんのことハニーって呼んでいい?」
「私、車降りていいかな」
「…駄目かあ。うーん…もしかして、不機嫌?」

なっちゃんは俺の方を見ないで、ホルダーにアイスラテを戻した。

「そういうことを訊かれると、不機嫌になりたくなる」
「あ、もう言いません!今日は、なっちゃん大満足計画を完全遂行するって決めてるんでありますもんね」
「…はいはい。語尾が狂ってる人に言われても、信憑性は薄いけどね」

オーディオから流れていた曲が終わった。次の曲のイントロが聴こえる。スキップするように軽いビートのポップスだ。
あ、これは普通に好きかもしれない。
音量上げて、と頼もうとしたら、なっちゃんが腕を伸ばした。綺麗な爪の指先で、なっちゃんはボリュームの調節ボタンを押す。
歌っているのは男だけれど、あっさりした色気のある声が良い。
音量が増すと、耳がますます楽しくなった。

「ねえねえ、あのさ」
「質問なら、あと一個で終わり」
「えー?ま、いいや。うん。それよりこの、今流れてる曲さ…」

あ、やっぱりこの曲好きだ。『色男なら傍にいるさ』って、まさに俺がなっちゃんに言いたい言葉が、音楽に乗って聴こえてきた。

「題名、なんていうの」
「…嘘。なんで」

なっちゃんが俺に顔を向けた。驚いたような、疑うような眼で俺を見る。

「だっていい曲じゃん。あ、ほら『別れ無くして、恋愛無し』!…ってね」

なっちゃんの白い肌に、フロントガラスを通り抜けた日差しがあたった。瞼にアイカラーが薄く塗られてる。瞬きをする度に、光を受ける角度が変わって金色にもエメラルドグリーンにも輝いた。その瞼で、ゆっくりもう一度瞬きをする。

「……『恋愛無し』じゃなくて、『出会い無し』ね」
「あ、そうなんだ」
「好き?」
「うん。歌詞も曲も…なんかくせになりそうっていうか。好きだなー」
「私もだよ、清純」

なっちゃんは、俺を見て言った。
信号が青になった。
俺は、なっちゃんを見ている。後ろの車が、クラクションを鳴らしている。
なっちゃんから、頭をはたかれた。

「アクセル!」

助手席から伸ばした手で、なっちゃんが俺の膝を押してアクセルを踏ませた。
車が急に発進したので、驚いた。

「ね、ねえ。なっちゃん」
「千石君。旅館に着いたら起こして。私、寝る」

なっちゃんはシートを倒し始める。俺は焦った。道路標識を見て、高速が近づいてきたのを確認しながらなっちゃんに抗議する。

「ね、なっちゃん。せっかくいい雰囲気だったのに…それは、ひどくない?」
「ひどくない。…昨日眠れなかったから、本当に寝不足だし」

なっちゃんは、倒したシートに上半身を預けてしまう。

「そんなあ…。そんなのなっちゃんの自業自得じゃん。そんなに今、つまんない?」
「…ああもう。鈍いな」

なっちゃんは舌打ちをした。女の子なのに舌打ちするなんて…もう、可愛い。
シートに倒した体を起こすと、なっちゃんはホルダーからアイスラテを取る。それを飲みながら言った。

「起きとけっていうなら、起きててもいいよ」
「え!じゃあ起きてて!起きてて、もっと話そう」
「…それでいいの?」
「いいよ。だって、なっちゃんとせっかくのドライブでもあるんだから…」
「今寝なかったらね」
「うん」
「まあ…いいか」

なっちゃんはアイスラテを飲み干した。

「私が確実に今夜、電気消して即行で熟睡するだけだし」
「え、え」
「ごめんね。私、変に気をまわしてたんだけど、無いなら何も無いでいいよ。千石君も、ドライブ疲れですぐ寝ればいいよ」
「…今すぐ寝て下さい」

俺は唾を飲んだ。
なっちゃんは優しいんである。俺は彼女のことが好きなんである。彼女はそれを知っているんである。

「着いたら起こす。だから今は…なっちゃんは、寝てて」
「はい」



とても夢じゃなかろうかと思った。
夢じゃなかったんである。
 
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