人魚が海を捨てる時 8 観月さんと二人で新幹線、という状況で一体私はどうなるだろうと心配していた。 嬉しさに任せて喋りまくって、観月さんをうんざりさせてしまうんじゃないだろうか。それとも、緊張しすぎてうまい話題も見つけられずに気まずく沈黙してしまうんじゃないか。 結果から言えばどちらも違った。 観月さんがいつも通りなので、それにつられてか私も今更の緊張もせず、変わらない態度で接することができた。そうして今、無事待ち合わせに遅れず乗車できた。車両に乗り込んで、指定されたシートに体を落ち着かせる。 安堵の溜息をつきながら同時に目を閉じて…覚えているのはそれまでだ。眠りかける時間に気付く間もなく、ストンと瞼は眠りの幕を下ろしてしまう。 いくつか言い訳させてもらいたい。まず、色々旅行の準備やら心の準備やらで前日寝たのは、かなり遅い時間だった。にも関わらず、待ち合わせに遅れないようにと今朝は相当早起きをした。なので、睡眠時間は3時間に満たない。 そんな私に、グリーン車の座り心地の良すぎるシートを準備してくれた観月さんが、つまりは最終的に悪いと思う。 そういうことにしてほしい。 「着きましたよ、さん」 肩を揺さぶられるでもなし、観月さんの呼びかけ一言が落ちてきた。 「二度は起こしませんからね、そのまま眠っていたいならご自由に。置いていきますので」 「いや…置いていかれるのは、ちょっと」 ちょっと、どころかとても困る。観月さんは私を見ながら席を立ちつつ、足元に置いていたボストンバックを手に取る。 「それならグスグスしない。ほら、行きますよ」 「え?どこにですか」 「君は馬鹿ですね。さっきも言ったでしょう。君が口を開けて寝てる間に、着いたんです」 観月さんは呆れた溜息をついて、私の額を人差し指で弾いた。二度目のデコピンだ。でも今回のは痛くない。 ホームでは、天井から吊られた駅名表示版に『山形』と書いてあった。 駅を出たところで、観月さんはタクシーを拾う。 乗り込んで、観月さんが運転手さんに告げた行き先は病院だった。病院名は聞き慣れないものだった上、観月さんが少し早口で言ったせいで私にははっきりとわからない。でも、運転手さんはそのまま車を発進させたので、地元の人ならばわかるところらしい。 車が駅を出て、窓の外ではどんどん景色が流れていく。 それにしても山形。おまけに病院。 観月さんは実家に帰省すると言っていたけれど、そこから先の詳しい事情は何も聞いていない。行き先が山形だなんて、さっき新幹線が着いたと起こされて初めて知った。 「…まあ、いいか」 「何がいいんです」 「え?」 隣に座る観月さんの方を向くと目があった。少し、不機嫌そうに眉をひそめて言う。 「『え?』じゃないですよ。今、『まあいいか』なんて言ったでしょう。何がいいんです」 ああ、それか。胸の内で色々詮索しても仕方ない。だから「まあ、いいか」という意味だ。 勢いとは言え、最終的についていかせて下さいと頼んだのは私の方だ。観月さんの帰省のお供ができるだけで、十分私には勿体無い連休を過ごさせてもらっている。ドタキャンしてしまって、ナツコ先輩と千石さんには悪いなとは思うけれど。 でも昨日千石さんから、『おかげでなっちゃんと二人っきりでお泊りできることになったよー!ありがとう!』とメールが来た。ついにナツコ先輩も、腹をくくった…のかな?どうなんだろう。 それはともかくとして、観月さんに返事をしよう。おかしなことを口走らないよう、でも嘘も無いようにできるだけ正直な気持ちを言葉にした。 「細かいところを考えると、色々不可解なこともありますよ。でも、とりあえずいいかっていう意味です。だって今日は天気も良いですし。それに私は山形には初めて来たので、単純に小旅行みたいで楽しいとも思います」 そう言うと、観月さんは控えめに咳払いをして、それから静かに私から目を逸らした。シートに背を預けると、顔を背けたままで言う。 「…着いたら起こしてください。少しの間だけ、僕は寝ますから」 「あ、はい。わかりました」 「すいませんね。話相手もせずに」 「いいえ。窓の外眺めてれば退屈はしません。お気遣いなく」 タクシーは真昼の街を抜けていく。観月さんは、私の隣で寝息も聞こえないくらい静かに目を閉じていた。 着いた病院は、そう大きな建物ではない。駐車場は何台分かは整備されている。 受付の方へ観月さんは歩いていって、低い声で看護婦さんといくつかの会話を交わす。私は入り口の傍で、荷物と一緒に立ったままでいた。 観月さんが私のところへ戻ってきて言う。 「じゃあ、行きましょうか。これから見舞いに付き合ってください」 「ああ、観月さんのお知り合いの方が入院なさってるんですか」 「ええ。でも、知り合いじゃありません」 「は?」 観月さんは私のボストンバックを持ち上げて歩き出した。一泊二日とは言え、観月さん自身はかなり荷物が少ない。上等な皮素材のショルダーバック一つ。携帯とお財布と、そういう必要最低限のものしか入ってさそうな大きさだ。そうして私は、旅行然としたボストンバックだった。朝の東京駅からそうだったけれど、何かしらの移動の時、観月さんは私のボストンバックをまるで自分の荷物のようにして、持って運んでくれている。おかげで随分楽だ。 観月さんには突き放すようなことばかり言われるし、甘えさせてもらったことも一度もない。けれど、観月さんの優しいところというのはいつもこういう風に現れるものなんだとな思った。直接かつ積極的に示されるものじゃなく、とても間接的かつ控えめに、音もなく置かれる気遣いだ。 その小さな発見に嬉しくなった。海の底に沈む真珠を一粒見つけたように、抱き締めて大切にしたくなる。 廊下の途中にあったエレベータに乗って、観月さんは3階のボタンを押した。エレベータの箱は小さかった。乗っていたのは私たちだけだったけれど観月さんはずっと無言だったので、私も何となく口を閉じていた。 3階に着いた。白い廊下を観月さんは歩いていく。一番突き当たりの扉の前で立ち止まった。他の病室と同じように、扉に貼られているはずのネームプレートは観月さんと重なって見えない。 しんとした廊下で、観月さんは言った。 「病室に入ったら、僕と交際をしているということで話を合わせてもらえませんか」 扉の方を向いたまま、後ろに立つ私に背を向けている。 「あの…それは観月さんと誰が」 「君ですよ」 背中越しに観月さんは言う。驚きと嬉しさが一瞬膨れ上がって、でもすぐ呆気にとられた。 私と観月さんが付き合ってる!なんて不自然な設定!内心で叫んで、今度は他人事のように感心する。素晴らしく現実味の無い作り話だなあ。 そりゃあ私は観月さんが好きだけども、その逆は無いので喜んだ一瞬が少し寂しい。 「母が」 「は?」 「はい。母が」 「…はは?」 「母が入院したんです。今年の猛暑がこたえたようで…もう、年なんですよ」 横顔で振り向いて、視界の端に映ってるだろう私を睨むように見下ろした。 「さんは、ただ同席してもらえるだけで結構です。いいですね」 「あ、はい」 「余計な振る舞いは無用ですから。普通に適当に、おかしな気遣いはしないで下さい」 「…了解しました」 観月さんが病室の取っ手に手をかけて、ゆっくりと扉が横にスライドする。 とりあえず千石さん達と焼肉食べてる時のようなつもりで、同席していようと思う。 |