新月の夜に 12




初めてを抱いた。と出逢ってから、初めてと一つになれた。

きっと俺は緊張でガチガチになって、ヘマしちまう心配しかしてなかったけど…
緊張なんてしてる余裕すらなかった、つい5分前までのあの時間。あの空間。

俺の下にを敷いた瞬間から、勝手に体が動いていたような気さえする。
が俺の体に口付ける度に、を求めることしか考えられなくなっていったけど
それでも、わかったことがある。

深く繋がるほどに漏れた、の甘いあの声は、俺のことを男として好きだと言った。
真上の俺だけを映すの瞳は、きちんと俺の気持ちも映していた。

伝え切れなかったことなんて、もう何一つとして残ってないんだ。
でも、まだ俺達は手を握り合ったままでいる。

それは…離れたくないって気持ちを、も感じてくれてるんだと思う。


「…岳人」
「なんだ?」
「…童貞って嘘でしょ」
「…嘘じゃねーよ。そりゃ、確かに上手くいったとは思うけど…」

俺がそう答えると、はちょっとだけ照れたように笑う。

童貞だから、こうやって裸で並べるようになるまでこんなに遠回りしたんだろ?
まあ、そういうは…きっと処女じゃないんだろうけど、
そんなことは気にならない。気にするようなことじゃねえ。
だって、今こうして俺の隣にいるが俺の全てなんだから
わざわざ過去にさかのぼって文句つける必要なんてないもんな。


向かい合うように横になって、繋いだ手を握り直しながら俺の瞳を覗き込むは、
本当に正真正銘、俺の知ってる、俺だけのいつものだ。

「…岳人」
「今度はなんだよ」
「どうして、私を月に例えたの?」

そういや、まだ説明し終わってなかったっけ、その話。
梨乃が太陽みたいだってとこまで説明して…その後は、その、あれだったわけで
に訊かれるまで、俺はすっかり忘れてた。

そんな難しいことを色々考えてるつもりねえんだけど
でも…考えれば考えるほど、にあてはまる月のイメージ。




人間誰だって、世界の中心は自分だ。
それは…無限に続くらしい宇宙の中で、地球を全宇宙の中心だと思うことに似てる。
ほんとはちっぽけな小惑星の一つに過ぎねえらしいけど、この際気にしない。

地球を中心に考えた時、そこから一番近いのが月なんだ。

月は他のどんな惑星よりも地球に近くて、しかも地球の衛星ってやつだから
ずーっと昔から変わることなく、地球の周囲を回り続けてる。

他のどの惑星のところにも行かないで、地球の傍だけに寄り添う月がいてくれて…


「つまり、岳人に一番近い存在だってこと?」
「おう。一番近くて…あと、あれだ。地球ってすっげー月の影響受けてんの。
  潮の満ち引きとかって、あれ月の重力のせいだって知ってたか?
  月の重力が地球の海水を引き寄せちまうから、満潮になるんだぜ。
  それと一緒では…俺の気持ちを満たすんだ。すっげー幸せな気持ちになれる。
  今夜は、ほら、色々あったせいで不安にさせられちまったけど…
  俺の気持ちを揺らせるのは、いつだってだけ」

こうして心から安心できる優しい光をくれるのは、俺にとってだけだ。

  
俺のつっかかりながらの言葉でも、はちゃんとわかってくれたみたいで
俺の額に手を伸ばすと、そっと前髪をかき上げてくれる。
だから俺も手を伸ばして、の首元にかかる髪を耳にかけてやった。
柔らかい髪が、いつもはストレートなのに、今日は少し巻いてある。

案外こういう大人っぽいお洒落も似合ってんのな。のくせに。
今日みたいに大人の女みたいな格好をしたを侑士が見たら、
きっとまた「ほんま岳人にはもったいない女の人や」って…

あ、そういえば。


「なあ、。いっこ訊いていいか」
「…なあに?」
「なんで好きな女を月に例えると、ジュリエットが怒るんだ?」
「…シェークスピアのジュリエットだよね」
「…多分。侑士がそう言ったんだけど、俺ちょっと意味わかんなくて」

は俺の前髪をすくっていた手を止める。
うーん、と小さく声に出しながら考えてくれてるみたいだけど、
ほんと、天才とやらの考えることなんて俺にはさっぱりわかんねえ。

もなあ。一応俺より年上ってことになってるけど
実際のとこは俺と行動レベルとか大して変わんねえから、知らなくても仕方な…

「…わかった、かも」

まじかよ。
ちょっと意外だった。でも、その答えがわかったんなら早く聞きたい。
あん時、侑士の奴…思いっきり俺の頭ラケットの面ではたきやがったし。

「自信はないけど、多分…」と言い渋るをせっついて、口を開かせる。


「あのね。ロミオが、ジュリエットに愛の告白をする場面があるんだけど…うん。
  その時に、ロミオは月にジュリエットへの愛を誓うって言うのね」
「へえ。わかってんじゃねえか、ロミオ。やっぱ月だよな、うん」
「…この場合はそうじゃなくて、岳人。その…、えっと。
  月は、恋愛に関してあんまりプラスじゃないイメージもあるんだよ」

そう言ったは、俺から少しだけ目を逸らす。
プラスじゃないイメージ…?俺には、全然見当がつかねえけど。
でも、が少し悲しそうな顔になったってことは…
月にそういうイメージを重ねても悲しい思いをしたってことだよな。

壊れてしまったみたいに泣きじゃくった、あの
今なら、はっきりと思い当たることが出来る。

きっと…梨乃のことで、俺がに悲しい月を見させた。
に済まないと思う気持ちが胸に満ちて、棘を抱いてるみたいな痛みを感じる。


の髪に置いたままの俺の手に、はそっと手を重ねて瞳を閉じると
小さな声で、何か思い出話をするように、ゆっくりと話を続けた。

「自分への愛を月に誓おうとしたロミオに、ジュリエットはこう言うの。
   『月になんて、愛を誓わないで下さい。月は、日ごとに形を変える不実なものだから。』
  多分…忍足君が言った意味は、これのことだと思う。
  コロコロ見える形が変わる物に彼女を例えるのは、
  俺の彼女は不誠実な女だと言ってるようなものだぞ、ってね。
  でも私は…月は不誠実どうこうっていうより…不吉だと思った。
  満ちていくだけならともかく、満月から欠けていく月の姿が怖かった。
  端っこから黒くなって…新月なんて真っ黒になっちゃって
  大切なものが何かに塗りつぶされて、消されちゃうような気がしてたから…」



そう話したの言葉にが今までどんな気持ちでいたかを
俺は今度こそ本当に、改めて思い知った。

それは体で愛しさを確かめ合えた後だからこそ。

がどれくらい俺を想ってくれて、そのせいで涙を流したのか…
今更気付いても遅いのかもしんねえけど、でも今感じてるこの痛みは嘘じゃない。



どうして俺は、こんな風なんだ?
に追いつきたいって焦ってばっかで、自分のことしか見えてない。

肝心なことは何も気付けねえで、にどんどん不安を抱えさせてた。
俺が能天気に梨乃の相手なんかしてる間に、
真っ暗な不安だらけの中へ、を独りっきりで置き去りにして。

そんなの馬鹿だろ、最低だろ。彼氏としても、男としてもとっくに失格じゃねえか。
それでに釣り合う奴になれるわけない。


「俺に頼ってくれたらいいのに」なんて偉そうなこと考えてたくせに
結局、俺自身がを傷つけてたんだから…。

なんだよ、俺…に何にもしてやれてない。
俺が一人で安心させてもらったり、幸せな気持ちもらってばっかで
に俺が与えてやれてたのは、こんなろくでもないもんだけ…

がどんな気持ちで月を見上げてんのか、一度でも考えてやれてたら…

なんで俺は…



「泣かないで、岳人」


優しく目元を拭われて、初めて気が付いた。泣いてるつもりなんてない。
でも、確かに目から伝って流れるものがある。
…ただでさえ情けないってのに…その上今度は泣いちまってんのか?
でも、が細い指先で俺の涙を拭えば拭うほど止まらなかった。


そんなに、満ち足りたみたいな顔すんなよ、

がそうして涙をぬぐってれる度、俺は簡単に慰められちまうのに
が独りで流した涙を、俺は一粒だって拭ってやれなかったんだから。


「…。お、俺…ほんと、き、気がつかなくて…俺…
  大事なのに。だ、大事にしてるつもりだったのに…ごめん…」

ごめんな、ほんとにごめん。

あとはもう、それしか言えなくて涙で視界もぐちゃぐちゃだった。







気が付いたら、いつのまにか俺はの胸に顔を寄せて
が抱き締めた俺の髪を撫でてくれてる。

でも、が俺の髪を撫でるとき、いつもはすぐに気持ちが落ち着くのに
今はその手の優しさが、余計に俺を切なくさせた。


今日の新月も、きっとにとっては俺の何倍も苦しいものだったはず。

そう気が付いて、いつまでもグズグズと涙が止まらないでいる俺に
が静かに言葉を落してくれた。


「岳人…でも、今はね。私にとって、もう月は不吉なものなんかじゃないよ」
「…どうして」
「私にとっては岳人が月そのもの。だから…岳人の影響を受けちゃうの。
  岳人にとって月が良いイメージなら…私も素直にそう思える。それにね」


は少しだけ顔を体を離して、胸元に顔を寄せていた俺の瞳を覗き込む。

「月が満ち欠けを繰り返して、形を日ごと変えていくのも、
  岳人が色んな表情を持ってるのに似てるし、その一つ一つが私は好きだから」


俺の胸の中にあった沢山の痛みを、の言葉がどんどん癒していく。
ほんと不甲斐ねえ話だけど、俺はにこうやって甘えてんのが一番落ち着く。


「特に新月の日は…どんな日よりも大事な記念日。これからはね」
「記念日?」

ちょっと意味がわからなくて、を見上げると
はそっと顔を近づけてきて…俺の目からこぼれかけていた涙を舐めとった。
そのまま、頬にいくつものキスをしてくれる。


「そう、記念日。岳人と初めて…ね。…最初で最後にならなければいいけど」

最後の方は俺の首筋にキスをしながらの言葉だったせいで聞こえにくくなってたけど…。
でも、聞き取れなかったわけじゃない。


「さ、最後になんかならねえよ。…最後になんてなるもんか。
  が心配なら…俺は別に今からだって構わねえぞ」
「本当に?」
「ほんとに」

真顔でそう言い合って、お互いの目を見つめあってたのに…
が堪えきれないように笑い出したせいで、俺も釣られちまう。


さっきまでの落ち込んだ気分は、もうすっかり晴れていて
今はただ、こうして抱き締めてるが愛しい。


これからは、と新月の日を迎える度に、今日のこの気持ちを思い出そう。

そして、数え切れないほどこの先巡ってくる日々の全てを、といつまでも歩いていきたい。



end






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