対飼いになりたい / 青の鳥 11





女はすぐに群れたがる。ターゲットが自分達にとって甘い利益の可能性を持つ奴なら、なおのこと。

俺の親戚だと紹介されたの周囲は、転入初日から騒がしい。
男達は俺に遠慮してかそれとも単に気の無い素振りを装ってか、特段出すぎた真似をする奴はいない。なのに女ばかりが授業の合間の10分休みでさえ、の周りに現れて絶えることはない。
の方は、そうやって群がってくる女達の問いに対して必要最低限の返事だけ返していた。
『俺以外の奴に馴れるな』と、朝の時点で俺に言われたせいだろう。
でも微笑み混じりに首をかしげる仕草と優しい声のせいか、決して邪険な対応にはなっていない。

だからどの女も、ちょっと押せばを自分の群れに引き込めると思ってまとわりついてきやがんだよ。少しは鬱陶しいとか思わねえのか。ほんとつくづくはお気楽だ。
クラスの奴らから優しい声をかけられて、新しい集団に自分が受け容れられる喜びか。
俺へ助けを求めてこないのは、そのせいとしか思えない。


視線を向けずに視界の端だけで、いつも俺はその光景を観察していた。

容姿を褒められ、持ち物を羨ましがられ、どんなものが好きなのか興味を一身に注がれる。
その全てが、本当は都合の良いカモフラージュに利用されてるだけだと知ったら、
目も覚めるかもしれねえな。

そいつらの目当てはじゃない。 俺に決まってんだろ。
俺以外の誰が、お前の価値になんか気付くもんか。俺だけがお前を唯一の存在として想ってきた。

に愛想よく話しかけるふりをしながら、どいつもこいつもチラチラと俺の様子を窺ってきやがる。質問の端々に、さりげなく俺に関する問いが潜ませてあることくらい、少し聞いてりゃすぐわかるんだよ。
もしが俺の親族でもなんでもない、ただの一般人の転入生として入ってきていたら、 そいつらのうち一人だって、に関心なんて寄せなかった。そういうもんなんだ、女なんて。

に近寄れば、俺とも親密になれると思ってるその馬鹿さ加減にうんざりした。
そうしてそんなことにも気付かず、困ったように微笑みながら相手をするには胸が痛んでいた。


を学校へ通わせるようにしたのは軽はずみな行動だったかもしれない。 授業中に、懸命に耳を傾けてノートをつづるの横顔を眺めながら思う。でも俺のその視線に気付いたが、俺を見つめ返してくれる度に後悔は消える。
が今、俺にとっての日常世界へ完全に組み込まれて、それ以上のことなんてないだろう。愛しい鳥をいつでもどこへでも肩に乗せていたいなら、まずは籠から出さなければ。

を籠の外に出して飼い始めたことに、価値は充分あるはずだ。

そうして、毎日が過ぎていった。







の転入から2週間たった日曜日。
美術の時間に使う画材道具を、は何も持っていなかったので一式買いに行くことにした。
ただ日曜とは言え、俺には午前中部活があったし、その後も軽く自主練をするのが常だったから
全部終わった後の夕方から出掛けて、そのまま外で食事も済ませるコースでと街へ出た。


「景吾、絵の具ってさ…意外と高いんだね」
「普通だろ」
「全部景吾に払ってもらっちゃって今更なんだけど、ごめんね」

清算時、俺がカードを出したのを見ては目を丸くしていた。
現金を入れておくより、無駄に財布が膨らまなくて便利だからこうしてるだけだと言うと
あからさまに肩から力を抜いていたのが可笑しかった。

「気にするな。学校で使う持ち物くらい、家族が買ってやって当たり前じゃねえか」
「…家族?私、景吾の従姉妹じゃなかったっけ」

名目上、色々面倒が少ないだろうから従姉妹だと学校の方には言ってある。そのことについては今日まで一度もその理由を尋ねてこなかった。
今になって唐突に、からかい混じりの口調ではわざと俺のあげ足をとるようなことを言う。

「ふん、従姉妹だろうが姉弟だろうが関係ねえよ。そんなもん単なる戸籍上のカテゴライズだ」

俺の答えには軽く笑いながら、荷物を持っていない方の俺の腕に体を寄せた。

きっと、俺と同じ気持ちでわかってる。
俺達にとって戸籍に関するあれこれは大した問題じゃない。
大事なのは、もう二度と誰からも邪魔されることなく、寄り添って時間を重ねていくことだけだ。





さん!」

中華料理を食べたいと言ったのリクエストにこたえるべく、店へ向かって歩いていたら
後ろからやけに甲高い声に呼び止められた。 立ち止まって、振り返る。

さん偶然じゃん!買い物?」
「あれ、跡部君も一緒!すごーい!超偶然!」

何がすごいんだか、俺達にわざわざ声をかけて足止めさせたのはクラスの女達だった。
の転入初日から格別熱心にの席へ通っては、どうでもいい話ばかりして居座る二人連れの女。
に声をかけたくせに、しっかりと視線は俺の方へ流してくる。

「えー、まさかさん達に会うとは思わなかった!どうしたの、何か用事?」

不自然に黒く縁取られた目元をめいいっぱい見開きながら、片方の女がに質問を向けた。
は勢いにおされて、ほんの少し身を引いて遠慮がちに口を開く。

「……絵の具を買いに。来週から美術で」
「あーなるほどね、持ってなかったんだ。そうなんだ。ていうか跡部君も一緒とか超驚いた!」
「ほんとほんと。跡部君は?テニス部いつも頑張ってるよねー。跡部君、今日部活なかったの?」

まだが言葉を終えてないのに、待ちきれなかったのか二人して堂々と俺への質問をかぶせてきやがる。そういう無神経なところが、お前らの外見ににじみでてるぜ。
似合いもしない化粧や洋服に割く時間があるなら、もっと年相応の礼節ってやつを身に付けろよ。そうすりゃ俺は、お前達の低俗ぶりを哀れんでやったりせずにすむのに。

「部活は昼前に終わってる」
「ええーそうなんだ。あ、そうそうあのねー、私の友達ですんごい忍足君のファンの子がいてさあ…」

それからしばらく、そいつらの話が続いた。要約すると、忍足を好きな女がいるから
忍足の携帯番号を教えて欲しい、ついでに俺のことを気に入ってる友達とやらも別枠でいるから、そいつにメールアドレスを教えてやってほしいとのことだった。

「悪い子じゃないから、教えてあげてくんないかな?駄目?」
「忍足の件は忍足に直接交渉しろ。俺はあいつの窓口じゃねえ」
「もう跡部君てば冷たい!じゃあ跡部君の分は?メアドだけならいいでしょ?」
「断る。くだらねえことに付き合わせんな」

向かいのビルの壁面に取り付けられているデジタル時計は、18時40分を指していた。
さっさと店に向かわないと、あの中華料理屋はすぐに満席になってしまう。
は夜景が好きだから、あの店の奥、窓際の一番夜景の綺麗な席に座らせてやりたいのに。

立ち止まった俺達に、冬の夜風が吹き付ける。は今日、マフラーをつけてこなかった。
そのせいで首筋が冷たくなっているなら、俺が口付けて暖めよう。
いっそのこと体の全てを抱き締めて口付けて、熱を与えてやってもいい。



「あ、ねえねえさん。そう言えばもうご飯食べた?」

唐突には話を振られて、条件反射のように首を振った。
途端に、それまで矢継ぎばやに会話を進めていた奴らの口調が変わる。

「あのさあ、私達もまだ食べてないんだ」

ねっとりと、周到な狡猾さでを誘導しようとしてるのが見え見えだった。さっきまでの方がまだマシだ。

「…さん達も、まだ食べてないんだよね?」

は頷かなかった。それに気付いたはずなのに、そいつらは交渉を打ち切らない。

「まだ時間あるでしょ?ねー、さん学校だとゆっくり話せないしさあ」
「私、もっと色々転入してくる前のこととか聞かせて欲しいんだけど、駄目?」

誘われてるのが俺一人の時だったら、即刻断れるものを。
舌打ちしたいのを堪えながら、の様子をそれとなく窺う。
戸惑って、後ずさりたいのをようやくのところで踏みとどまってるってとこか。

こんな誘われ方と状況で、が断れるわけがない。
まあ後先のことを考えればここでこいつらの誘いを断らないのが、一番賢い選択でもある。
断れば、いじめだなんてわかりやすい嫌がらせはさすがにされないだろうが
手のひらを返したように冷たい態度になるのは避けられない。

俺が間に入って断ったところで、余計に話がこじれるだけだ。今日は運が悪かったと諦めて、他の手ごろな店にこの女ともども行くとしよう。
それで忍足と岳人あたりも呼びつけて同席させりゃあ、少しは俺も我慢できるしの負担も減るはずだ。


そう思ってポケットの携帯電話に手を伸ばした時。


「ごめんなさい」

あまりにはっきりと、が言った。女達は二人して声を重ねて聞き返した。

「え?」
「ごめんなさい。……私、食欲ないみたい。だから今日はもう帰る」

一緒にご飯を食べに行けなくてごめんなさい、と重ねては謝る。その場に沈黙が落ちた。
あからさまに気まずくなった空気の中、は静かに溜息をつくと顔半分を隠すように頬へ手をあてる。ビル壁面のデジタル時計の下二桁は数字を二つ刻んだ。

まさかが、自分の言葉で断るなんて意外だった。

途方もない嬉しさが胸を満たす。
こんなくだらねえ奴らより、はきちんと俺を選べるのか。
リスクを犯してでも、ちゃんと俺とだけの時間を優先して守ってくれる。

嬉しくて抱きすくめてしまいたくなった。愛してると呟いて、耳元にそのまま口付けたい。
笑みが浮かびそうになる顔を引き締めて、わざと深刻ぶった溜息をついてから口を開く。

「悪い。こいつ、普段ろくすっぽ出歩かねえもんだから人酔いしてやがんだ」
「…え、そうなの?」
「ああ。下手すると吐いちまうし……おい、いい年して手間かけさせんなよ」

言いながら、どうしても我慢できずに伸ばした腕での頭を撫でながら引き寄せてしまう。
は女達の手前なのを考慮してか、一度は俺の胸を押して体を離そうとしたものの
を抱く腕に力を込めて、女達から顔をそむけるように俺の胸へ頬をうずめさせると、
すぐに逆らうことをやめて体を俺に預けた。 

「……気分、だいぶ悪いみたいだな」

は無言で頷いた。 

「あと少し、我慢できねえか」

果たしては、ゆっくりと左右に首を振る。

それでいい。あとは全部、俺がやってやるから。
お前の悪いようになんて絶対しない。ちゃんと綺麗に、俺が完璧なフォローをしてみせる。



まだ転入したばかりで、気疲れが抜けないのかもしれないともっともらしく言うと、
そいつらは目の前で獲物を逃がしてしまったように間抜けな顔から、慌てて笑顔を取り繕った。

「そ、そっかあ。そうだよね、まだ入ったばっかりだから……色々疲れて当然…よね」
「だね。……じゃあ跡部君も…もう帰っちゃう?」

俺がを一人で帰して、てめえらと食事に行くか。寝言は死んだ後に言え。
俺以外にを大事にしてやる人間は必要ない。
だが、のことを俺に近寄るための踏み台にする人間は、それ以上に必要ない。

そんなことを平気で考える俺を、は望むだけ愛してくれる。
俺は巻いていたマフラーをはずして、の首にまわした。
俺の体温がそのままに残る黒のカシミヤは、寒さに震えるの首筋を優しく包む。

「一応、こいつは預かり物だからな。家に戻して横にならせるまでが最低限の監督義務だろ。卒業までとは言え、この俺がとんだお荷物背負わされたもんだぜ。なあ?」

そう付け加えて口元だけで皮肉まじりに笑って見せると、女達は明らかな安堵を顔に浮かべた。

『お荷物』とを評した言葉にすっかり女達は優越感を得て、表情にゆとりまで出てきた。
が文字通りのお荷物なら、俺が面倒なんて見るわけねえだろ。
その仕草全てを俺のものにしたいから、俺が望むからこうして傍に置いてるんだ。


そのあといくつかの会話を交わして、やっとそいつらはその場を去った。

最後には「さん、ゆっくり家で休んでね。また明日学校で」とまで言い残して。




体を寄せて顔をうずめたままのを、腕に抱きながらビルのデジタル時計を見上げると
丁度今、19時になったところだ。

「中華料理、どうする」
「…いらない。食べたくない。もう帰りたい」
「わかった」

中華料理屋は逃げない。夜景が綺麗なのは何もあの店だけじゃない。
の好物は中華料理以外にも沢山あるし、
車を流れる夜景にだって、充分を楽しませるところはいくらだってあるんだ。

帰り道を少し遠回りのコースで運転手に指定した。
鮮やかな電飾の施された観覧車の傍を、高速沿いのコースで走らせよう。
その途中、が好きだと言うファーストフードの店でホットココアを買って帰った。




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