寒く暖かく


01




第一印象は人を裏切る。
外は今日も雪が降っていた。行きつけの定食屋から傘をさして歩いてきたのに、会社に着くとコートの肩にも雪が乗っている。
フロアの暖かい空気に頬がゆるむ。ロッカールームへ行こうとしたときだ。

「おーい。ルドさんからお電話」

先輩がデスクから、受話器を持ったままニヤニヤ笑って私を見ている。
コートも、首に巻いていたマフラーも脱いでいなかったけれど、私はデスクに戻って立ったまま受話器を受け取る。電話の内容は検討がついていた。

「はい!お電話かわりました。です」
「お世話さまです。ルドルフオフィスの観月です。先日お持ちいただいたパンフレットの初校ですが…また誤字がありましたよ」
「あ〜…申し訳ありません」
「まったく。もう何度目ですかね」
「ほんとですよね…」

こうして電話越しに彼へ頭を下げ続けて、半年が経つ。
ルドルフオフィスの観月さんからの電話は、いつも小言みたいな内容ばかりだ。

「あの、観月さん。訂正箇所を申し訳ないのですがメールにてご指示…」

いただけますか、と私が言い終わる前に。

「今から口頭で申し上げます。よろしいですね」

観月さんに遮られる。いつものことだとわかっていても、グッと喉がつまる。
頭のうしろがボワボワと痛んだ。





ルドルフオフィスから投げられている仕事は3件。全部私が制作担当になってる。
その日、仕事のあと先輩とご飯を食べに行った。雪がひどいので、会社近くの居酒屋だ。週末だからか、白熱灯で照らされた店内は混み合ってる。
楽しそうなおっさん、楽しそうな女性団体、楽しそうな若いカップル。
私はジョッキで生ビールを飲み干した。

…お前、そうとうルドルフに食われてんな」

目の下クマができてんぞ、と先輩は私を指さして言う。

「ルドルフじゃなくて、観月さんがやっかいなんですけどね…」
「面倒くさそうな男じゃんか。女みたいな顔してやがるし」
「…顔だけならタイプなのに、だから余計つらいんです…」

先輩が驚いた顔で私を見た。
私と観月さんは、1ヶ月に1回程度は顔を合わせている。観月さんはとても清潔で繊細で、白鳥みたいな印象の人だ。私がルドルフオフィスへ行くと紅茶が出される。その紅茶だけは、不思議と美味しい。

「顔合わせて喋ってればちょっとマシかな…とは思うんですよ、観月さんって。ほんと電話で聞く声もわりと好きな方だし」
「ふうん…」

観月さんの振る舞いは柔らかい。声だって優しく聴こえる。
もともとルドルフオフィスの仕事は先輩が担当するはずだった。先輩がルドルフオフィスへ顔合わせに行ったとき、私は『今後の参考』のために付き添った。そうしたら後から電話があって制作担当に私が指名された。
指名してきたのは観月さんだった。

「でもですね…仕事のやり方が腹立つんですよ。いっつも少しずつ、わざとみたいに小分けにして訂正箇所を伝えてくるし!あの観月はじめって人は!」

だから制作も全然進まない。進んでは戻され、変更され、急かされる。3杯目のビールジョッキを置いて、私はうなだれた。

「正直言って、もう最近は観月さんから電話っていうだけで、頭が痛いです…」
「やべーな、それ」
「…というわけで今夜は食べるより飲みます」
「おう!飲め飲め!!」



先輩とは店の前で別れた。
終電まで時間が迫っている。駅に向かう道はデパートが立ち並んでいて、ネオンに照らされた雪が賑やかに発光していた。長靴で雪道を踏みしめながら思う。

(…やばい。すごい酔ってる)

観月さんに関する愚痴と泣き言を語り尽くした。おかげで頭の中も胸の中も、空っぽだ。
すごく満足している。誰かに抱きついて「世界ってハッピーだよね!」と叫んでもいい。そんな馬鹿なことを考えるくらい楽しい気分だ。
横断歩道のすぐ傍にはタクシー乗り場の表示がある。

(思い切ってタクシーで帰ろう)

乗り場へ歩いていく…のを数歩で止めた。
観月さんが並んでいた。
ビルの屋上から飛び降りるほどの急降下で、楽しい気分がしぼんだ。
乗り場には他に誰もいない。

(…タクシーは諦めます)

雪に滑って転んでしまわないよう一歩後ろに下がる。
なのに観月さんが振り返って、目が合った。


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